元々、読書週間ってほどじゃないですけど、高校生の頃から「竜馬がゆく」の池波正太郎とか山崎豊子とかの小説は読んでました。電車で通勤中なんかにも読んで。
自分の中に「習慣として身に付けたい」と思って読書を「習慣にする」って決めたのが2008年か2009年。
当時は「引き寄せの法則」という本の一大ムーブメントが起こってて、当時は副業時代でサッパリ稼げて無くて途方に暮れてた時代でしたから、藁をも掴む思いで本を読んだのが始まり。
それ以来、ムラがあるものの、月間で最低でも3~5冊、多い時は10~20冊ほど読んでる(娯楽などの小説はほぼゼロ)訳ですから、そう考えると累計でかなりの冊数を読んでると思います。
なんていうか、40代を手前に「こうなりたい!」ってビジョンを決めて、そのビジョンの自分を達成した時に自分は何をやってるか、そのビジョンを達成する為には、今、何をしなくちゃいけないか、みたいな部分で「取り入れる習慣」が決まると思います。
で、そういう習慣が数個あります。仕事は勿論ですが、読書、瞑想、アファメーション、トレーニング、ジョグ、英語学習、、、などなど。
で、一人親方は「オンとオフ」って考え方じゃなくて「ハイかロー」だと思ってて。
つまり「オフ日」は無しで「ローの日」って事です。
要するに「種火」は付けっぱなし。
理由は、火を付ける、オフ→オン、が1番パワーを使うので(笑)
コンロも種火付けてたらいいけど、あの付ける時の「チッ、チッ、チッ、チッ、・・」が1番パワーが必要で時間がかかるのです。
僕でいうと、今は完全に「サーフィン」はゼロです(笑)種火が消えてます。
糸島の後輩の所には定期的に行くものの「波どうだろう」「板、一応持って行っとこうかな」みたいな気持ちすら沸かないwww
これがオンとオフ、ハイとローの違い。
だから、読書を始め、自分がやりたい習慣ってのは、本来「出来ることならしたくない」ので、習慣化出来たら「ロー」のままで種火は付けっぱなし、ってのがコツですね。
だから、読書の冊数も毎月ムラがあるのは、そういう『種火』と『オフ』の意識を持ってるからです。
ヤル気なくても種火は切らない。
毎日の運動もゼロにはしない。
縄跳びなんかも、ヤル気全然ない時は5ラウンドもしない時もあるし、英語もしない日もある。
でも、自分なりの『種火』の意識はあるので、そこが10年以上続けてれる秘訣といえばそうなのかもしれないです。
で、本を読んでて、結局言ってることは姿かたちを変えど同じことだったりします。
でも、じゃあそれが無駄になるのか?といえばそうじやない。
もちろん、自分自身も読書習慣がついて成長してますから、巷で有名な本を読んでも、薄っぺらい内容だよな、みたいなのもあるし、その逆も然りであります。
ただ、本当に良い内容であれば、言ってる事、伝えたい事が同じであっても無駄じゃない。
例えば『愛してる』は何回言われても良いモノですよね笑
結婚したからと言って、愛してるを今後言わないなんて人はいないはず。
結局、大事な事は、姿やカタチ、表現やジャンルを変えて本質なので同じ。
引き寄せの法則なんて絶対に知らないだろうな、みたいな人が引き寄せの法則的な事を話してたり、UFCのコナーマクレガーなんかも、アファメーションなんて知らないだろうけど、アファメーションの基本的な概念を本能で理解して若い時から実践してたり。
大事な事は繰り返さないと分からないし血肉にならない
つまり、姿カタチを変えて『普遍的な概念』を理解する事にこそ読書の意味がある、って事です。
漫画なんかも、一回しか読まなかったのはサッパリ記憶に残ってないし、でも、好きなモノは繰り返し読むからセリフまで覚える。
仁義なき戦い、なんて、中学生の頃から通算してどんだけ読んで来たか笑。
英語学習なんかも同じで、何度も繰り返してるテキストで出会う単語も、参考書違ったら、血肉になってない場合は分からなかったりするし。
同じ系列の本を読めば読むほど、大事な事を刷り込めるし、違うジャンルで姿カタチを変えて出会ったら、それはそれで『やっぱこの考えだな』って思えるし。
結局、読書を積み上げた人って、血肉になっている比率が違うんですよね。
速読にこだわったり、速読術なんかも試した事あるけど、結局は『量より質』
もちろん、その質を高めるには、圧倒的な量、ジャンクな質も含めた量をこなす必要があるんですけど。量に溺れた次のフェーズは、冊数に拘らずにただただ質を高め、本質や大事な事をこれでもか、って位に刷り込む。
読書の本質ってそれなのかな、とか思います。