90年代初期の親不孝通りと当時の愛車と思い出と。。

初めて買った車が三菱のジープ。J54。友達の影響で。

こちらの様な感じで、ワインレッドでロールバーいれて。

買った初日に友達と海の中道のところの海岸に降りて、波打ち際を走ってたらスタックしてw

初日にレッカーを呼び、でも翌日しかレッカーは来れないと。満潮で下手したら沈む所で、放置して帰るのは不安だったけどなんとか助かった。

それから、スタックとかのアクセルワークなんかを学習して、割と遊んでた。

当時は地元の久保白ダムにダンプで運ぶ5~7メーター位の土の山があって、夜中にそこに入って、ユンボが土をすくって出来る、結構際どい山をメイクする事にハマって遊んでた。

海の中道や百道の砂浜とかも結構いったな~。

彼女(今の奥さん)がオバケ怖い、大嫌いなのに、ジープに乗せてホロも外して犬鳴峠に連れて行ったり。

大学の時は、学校なんてほとんど行ってなくて、金・土は友達と親不孝通りに踊りにいくんだけど、ジープで前を開けて(前の窓も倒してむき出しになる)イキって出動してたww

ハウス・オブ・ペインのジャンプアラウンドを爆音でかけて、親不孝通りに入って長浜公園(舞鶴公園?舞鶴交番の裏の公園)の路側帯に、ジープだから半分ガッツリ乗り上げて停まる。

当時って、親不孝通りのメインにも「うみえ」ってハコがあったり、カラーギャングは居たり、マハラジャはあり、なんかカルチャーのカオス状態というか。

洋服屋になってから聞いたけど、ギャング同士の抗争で死人が出てたりしてた時代。良く捕まらなかったな(笑)

めっちゃイキってたから、今考えると若気の至りとはいえ怖い。

大体、狙って23時位に親不孝通りを通るんだけど、僕が通ってたのは「ドゥエドゥ」ってハコ。

めちゃ狭くて、確かマハラジャが1時に閉まったり、他のハコも閉まって、その連中がドゥエに流れ込んでくる。ココからがパーティータイム。

マジで狭いハコでコロナ飲みながらスィング。

ライターにも火が付かない位、酸素が薄くなるハコ。凄い所だったな。

ドゥエのメインのDJがカッコよくて。確か当時25歳位だったかな。マイケル・ジャクソンとかマドンナとかもガンガン流して、超盛り上がってたな~。

もちろん、ジャンプアラウンドも。

MVに出てくる上下のスィング、マジでこのままのノリ。

裏リズムと表リズムがあって、踊りに慣れてる、音楽が好きな人って、裏で乗れる。

「ン、アッ」「ン、アッ」だと「ン」が表リズムで「アッ」が裏リズムって感じ(笑)

どっちでもいいんだけど、「アッ」でリズム取って踊ると、音とばっちり合うんだよね~

今じゃ信じられないけど、昔の親不孝は、アパレルのアイコン的なお店もあったし、ストリート系の有名なお店も割とあったし。

昔は大名も今ほど栄えてなかったし、Zサイドも出来たてか、作っている途中だったし、やっぱりメインストリームは親不孝通り、みたいなイメージがあったかな…

 

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