北野武の師匠、深見千三郎。
深見千三郎さんは、機械で左手が親指以外を失い、いつも包帯をしていた。
深見千三郎がテレビを避けた理由は諸説あるらしいけど、その一つとしてあるのが、今回のシーンの「左手」の理由。
深見がテレビに背を向けた理由については諸説ある。戦争中に受けた左手の負傷痕を気にしたためというものや、・・・
僕が好きな今回のシーンは、北野武が、初めてその事に触れるって所。
勿論、北野武以外の周りの人間も、その包帯の事については本人に触れる人はゼロ。
ところで、北野武のモノマネといえば松ちゃん(松村邦洋)だけど、実は「浅草キッド」の監督、劇団ひとりも昔から尾藤武っていうモノマネをやってた1人。
このコント、めちゃ好きで当時も観てて今でもたまに観たくなるww
で、話は戻って、この記事をなんで書こうと思ったかというと、北野武が、この師匠が気にしていた左手に触れるシーンがあって共感したから。
障害に敢えて触れる優しさや思いやり
共感した理由としては、僕の弟の事が原因なのかも。
障害を持ってる方などと仲良くなった場合(その人本人とか、その両親とか)、その事について触れない、気付いてないテイをするのは、相手に対して逆に失礼じゃないのか、、っていつも自問自答をしてる経験から来る。
僕自身は、言ってもらったほうがいいので。
でも、そこって凄くセンシティブな部分で正解もなく、凄く難しい。未だに答えは分からない。
もちろん「言われる人と、障害の程度と、関係性による」ってくらいは基本として分かってるけど、それを超えた部分での悩みやジレンマというか。
僕の弟は、9歳、歳が離れていて産まれたときから肢体不自由児。
弟を大事にしてきた経験で、障害者に対しても親切にしたいって思っている。
母ちゃんが弟が小さい時、街で色々と人に助けてもらった事を喜んで感謝してたので、僕も障害者に限らず、困ってる人を見たりすると積極的に声をかけるようにしている。
でも、障害者の人達って、その事に触れてほしくない、って思ってる人も多いのも事実。
「結構です!」って冷たく言われた経験も数しれず。
でも、その打開策として「手伝いましょうか?」の次に、間髪入れず「いや、僕の弟も肢体不自由児でいつも皆に助けてもらってるんで!」って笑って言うと、ほとんどの人が「すみません!」って言って、提案を受け入れてくれる。
多分、親族や身内に障害者を持ってる人しか分からない部分だと思うけど、助けてもらう、親切にしてもらうってのは、時として蔑まされてる様なミジメな気持ちになる。
この表現も正しいか分からないけど。。。
ほら、老人の人に席を譲ろうとしたら「ワシは老いぼれちゃおらん!」て逆ギレされたりする、みたいな話とかたまに聞くけど、嬉しい反面、バカにするな、って気持ち。あの感じ。
でも、同じ痛みを持ってて、苦しみをシェア出来てるって知ったら、みんな心を開いてくれる。
そういう感じで、僕も大事な身内に障害者がいるからこそ、相手の気持ちも分かる方だと思う。
でも、善意って押し付け、主観の部分もあるから、そこは臨機応変に空気を見ながら、、って感じだけど。
で、例えば、障害者の人、その付添の人達と話す時、その障害について「知らないテイ」で流すのは、かえって失礼じゃないのかな、とか、言わない、触れない方がいいのかな、、って部分も凄く悩む。
これも正解はないと思う。
でも、視覚で障害者ってのは分かるわけで、それを知らない感じでやり過ごす方が失礼なんじゃないかな、、とか本当に考えてしまう時がある。
例えば、僕が弟を連れているとすると、誰がどう見ても、僕の弟は障害者。
僕の性格的に「ご自分で歩けないんですか?」って、興味本位でもバカにしてる感じでもなく、その事にあえて触れて来てくれる人の方が楽だったりする。
話のフックっていうと不謹慎かもしれないけど、例えば「犬好き」って共通認識があれば、犬の話題がフックになるように、バカにする、蔑む、んじゃなく、純粋にシェアしたい、分かち合いたいって気持ち。
だから、弟を見て、素直にそう言ってもらったら「そうなんですよ、産まれた時から~」って、もうそれを共通認識にしたほうが楽っていうか。
僕も、中学、高校の友だちとか、弟に「おー、いいね、今度一緒にトモヒコ(弟の名前)も行こうや!あ、歩けんき無理かw」とか言って、俺と母ちゃんがツッコむ、で、皆で笑う、みたいなシーン良くあったし。
なんか、そういうのって、障害者としてじゃなく「普通の人間」として弟を見てくれてる様で、凄く温かい気持ちになるっていうか、嬉しかったんだよね。
これも、僕と母ちゃんの楽天的な性格ってのも関係してるんだろうけど。。。
勿論、これはお互いの関係性、過去のコミュニケーションや距離感って部分があるわけで、いきなり出会ってスグにそんなセンシティブな質問をする、っていうガサツな話じゃないので勘違いしないで欲しい。
「鼻毛出てるよ」「お前、太ったね」「お前、老けたね」とか、そういうガサツな事を言う、って意味ではないので。
例えば、車椅子の人を手伝った時に、ちょっと距離があったりするときに「雨の日とか大変ですよね、、」「事故に合われたんですか?」みたいな。そんな意味で「触れる」「気付かないテイで過ごす」というドチラの選択が本当の優しさなのか、っていう意味。
勇気がいることだし、傷つけるかもしれないけど。
そういう部分で、今から話すエピソードってのは、深見千三郎さん的に、タケのツッコミが嬉しかったんじゃないかなって。
良くソコに踏み込んできたな、みたいな。
タケが、師匠の手の事に触れる、やぶ蛇になったのか?
いつも弟子には「ボケろ」と言ってた深見千三郎。
ある日の居酒屋。
馴染みの居酒屋でお会計の後、師匠の靴を並べるタケの頭を叩く深見千三郎。
「バカ野郎!これじゃないだろ!アレを持ってくるんだよ!」と言って指を指す。
その指の先には、隣で飲んでいた女性のハイヒールがある。
「え??」っていうタケに
「そしたら俺がソレを履くだろ?で、アレ?ちょっと背が高くなったかな??って、それで、バカ野郎!!って俺がツッコむんじゃないか!」
「そうやって勉強していくんだよ。普段ボケれない奴が舞台でボケれるワケないからな、芸人だったらいつでもボケろ!分かったな。」
そして店を出ていく時に、師匠の左手の包帯に目がいくタケ。
前から気になっていた師匠の左手について、次の日に先輩に聞いてみる。
そこで「事故で指が無くなった」事を知る。
その話をしている時に師匠が現れる。
「何を話してやがんだい、いやだね、人がいない時に陰口叩きやがってこの野郎」といつもの口調。
タケがそこで師匠に歩み寄る。
「師匠、、、先輩にさっき聞いたんですけど、、、」
「その左手、、、」・・楽屋の場が凍りつく。。。
師匠は包帯で巻かれた自分の左手を出し「コレがどうした?」と聞き返す。
しばしの沈黙、、、
・
・
・
師匠の目を見つめるタケ。
・
・
・
そして一言。。
・
・
・
「腹へって、自分で喰っちゃったってホントですか?」
タケには常日頃、「芸人たるものボケろ」と言ってた深見千三郎はどう返すのか?
沈黙、お互い目を見合って見つめ合う。雉も鳴かずば撃たれまい、カミナリが落ちるのか、やっぱ、包帯で隠してた位だから、深見千三郎にとってはアンタッチャブルな部分だったのか??
・
・
・
・
「俺はタコじゃねーんだよバカ野郎!なんで自分で食わなきゃいけねーんだよ、そんな腹減ってねーよ、この野郎!!」
二人に笑みがあふれる。
タケも二の矢で「あ、そうですかwでもソレじゃ泳いでても大変ですね!どうしても左に曲がっちゃうでしょww」
「そうそう、どんなに泳いでもだんだん元の場所に戻っちまうんだよwwって、バカ野郎!こう見えても俺は泳ぎは得意なんだよ!!」
「でもな、競争するとな、(指が無いから)必ずタッチの差で負けちまうんだよ、、ってバカ野郎、ほっとけこの野郎!!」
この1人でボケてツッコむってのは、ごっつのMr.ベータでも継承されてる伝統芸能(笑)
でも、やっぱり、そうは言っても、相手が気にしているだろうな、、って部分に入り込むのは勇気がいること。
勿論、相手との今までの関係性、その障害の具合なんかも関わってくるから、正解がある訳でも無い。
受ける側、ココで言うと深見千三郎の「器の広さ」があったからこそ、タケの「傷つくかもしれない」ツッコミを受け入れて笑いに変えれたわけで。
普段から「芸人だったらボケろ」「笑われるな、笑わせろ」って言ってた部分を、見事に身をもって教えてくれたのは流石の一言。
慇懃無礼って言葉がある。
言葉や態度などが丁寧すぎて、かえって無礼であるさま。あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま。また、表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま。▽「慇懃」は非常に丁寧で礼儀正しいさま。
本当に心配してくれてるのって、ウワベで判断するんじゃなく、こういう部分で判断するのが正解だと思う。