人の価値、モノの価値の判断を「バイアス」無しで自分でちゃんと出来ているか?

いつもありがとうございます。

昨日の記事で紹介した、映画「Yesterday」。あれから、久しぶり、25年ぶりくらいに、ビートルズをファーストから聴きたいなと思い、今日のジョギングから聴き始めました。

映画「Yesterday」は、主人公以外が「ビートルズを知らない世界」の話です。

詳しくは、下記のページも参考にしてください。

この映画を観て思ったのですが、僕たち人間は、今の情報社会で、人の価値とか、幸せとか、物理的な部分でしか判断していないんじゃないかな?と…

一見、人からみたら圧倒的な成功を収めているような人が、みずから命を絶ったりするのも、外側から見た幸せと、内側から見た幸せが一致していないからだと思います。

「幸せ」だけではなく「価値」等も、僕たちは、物理的な視覚的に分かるような部分でしか判断していない時もあると思います。

  • フォロワーが○○万人いるから成功している
  • ロレックスをしているからお金を持っている
  • ベンツに乗っているからお金持ち

みたいに、物理的な部分、視覚的な部分で、その人に対してバイアスがかかっていることって良くあることだと思います。

そういった人間の終わりなき欲望のところを、映画「Yesterday」では、よく表しているんだと思いました。

バイアスが全くなく、何かを判断するなんてことは、この世の中にはありません。

でも、「本物を見抜く力」というのは、他人の影響なく、自分自身の経験や価値観で決めるべきものだと個人的には思っています。

そうなるためには、ブレることのない、自分自身の「絶対的な自信や信念」というものが必要になるわけですけど…言うが易しで難しいですよね。

例えば、「Yesterday」という曲も、

  • あのビートルズが歌う、世界的に有名な、みんなが涙する「イエスタデイ」
  • 売れない元教師が作詞作曲した「イエスタデイ」って曲

では、すでにバイアスがかかっていますよね。

映画「Yesterday」では、主人公のジャック以外、ビートルズを知らないわけですから、他の人は「(ミュージシャンとして成功していない)ジャックが歌う1つの歌」に過ぎないわけです。

でも、その歌が本物だと思った、これまた、実在するミュージシャンのエドシーラン。

何の保証のない、もしかしたら、好きだと言ったらみんなに笑われるかもしれない。そんなモノに対して、僕たちは自信を持って「いい!」って言えるでしょうか

そんな立ち位置が「Yesterday」の中で最初に披露する「イエスタデイ」なんです。

全く売れていない時から応援してくれている友達の前で、初めて歌う「イエスタデイ」

もちろんジャックは、「ビートルズのイエスタデイ」を歌っているつもりです。

このギターは、友人3人が、ジャックが交通事故でギターが駄目になったので、退院祝いとして買ってくれたものです。

このとき、友人は「サマーソングを弾いてくれよ」と、ジャックの持ち歌のことを話します。

このジャックのオリジナルソング「サマーソング」が、この映画の最後まで「布石」としていい感じになっています。

ジャックが有名になってライブをするとき、退院祝いをしてくれた友人は、ジャックのオリジナルの歌を催促する横断幕で彼がスターになったことをよろこんでくれるんです。

ビートルズを知らない3人も、初めてジャックの口から「イエスタデイ」を聴き、言葉を失います。

 

 

 

あと、この映画に出てくるロッキーは、「フラフラしているろくでなし」で、社会的に見れば「不適合者」と言っても良い立ち位置。

でも、このロッキーは、自分の意思とは反対にどんどんメジャーになっていく主人公ジャックと最後までマネージャーとして付き添って、ジャックの精神的支柱になってくれています。

ロッキーは、初めてイエスタデイを聴いたときにも、忖度なしに自分の意見をジャックに伝えます。憎めないキャラクター。

そう考えると、この映画で出てくる敏腕マネージャーは、「本物」をバイアスなしにみることが出来るので凄いです。

この映画に最初から布石として出てくる、ジャックのオリジナル曲「サマーソング」を、レコーディングのとき、ジャックは「1曲だけ」ビートルズの曲にまぜてレコーディングしますが、一発で分かってしまいます(笑)

ビートルズの曲ばかりだけど、どーせなら「(オリジナルの)サマーソングもいれたい!」って思うジャックの人間臭さ(笑)

でも一蹴されますww

 

今の世の中、こんなことばっかりな気がする

自分が本物と思って買ったものはコピー品だったりとか、結局何が良くてそれを購入しているのか?というところになってくると思います。

映画「イエスタデイ」は、そんな人間の深い部分を考えさせてくれる様なストーリーでした。

大事なものは何なのか?とか、バイアスなしに「良し」「悪し」を判断できているのか?

僕たちは、物理的な「視覚的なもの」で、人を「お金持ち」とか「価値がない」とか「付き合うべき人間」とか「ヘコヘコしておく人間」とか決めているんじゃないか?という部分を凄く考えさせられました。

人から認められていなくても価値のある人は価値があると思うし、人が認めているからといって、その人間が手放しで信頼出来るのか?というとそうでもない。

ベンツ乗ってるからと言って、見栄張りで、ベンツを買う事に全てを犠牲にし、ローンでヒーヒー言ってる、ガソリン代も困ってるみたいな人かもしれません。

「我以外皆我師」・・・自分以外「師」であり、「実る程こうべを垂れる稲穂かな」精神で、物理的や視覚的な善し悪しで決めるのではなく、その人自身、その人が発信する情報などを判断していきたいと思います。

ビートルズが歌う「イエスタデイ」であろうとも、場末のバーでミュージシャンが歌っている「イエスタデイ」であろうとも、「イエスタデイはイエスタデイ」と分かる様に、自分自身を高めていきたいなと思いました

オマケ|落語|茶金

「価値なんて 人が決めたもの」で、実は大した事じゃないな、って分かるような落語の話があります。

もともと、全く価値のない「茶碗」が、様々な理由やタイミングで、ありえないくらいの価値を持っていくという話です。

世の中の物って、実はこんな感じで価値が決められているものって沢山あるよな…という話です。

この話を聴くと、今の社会で価値があったりとか、評価されている人たちというのが、本物なのかどうなのか?これは、自分自身で判断出来るようにならないといけないな、と思えるような感覚になります。

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