
この記事は、僕が自身が作ったプロンプトで、以前に書いた「自己愛、自分を愛すること。スヌープ・ドッグのハリウッド殿堂入りの際のインタビュー」という記事を、グーグルのSEO的な評価を得るためにAIで記事を書かせたものです。AIの記事が無機質なのか?コチラでご確認ください。
The wall is oneself. Fight yourself thoroughly.
壁は自分自身だ。徹底的に自分と闘え。
by 岡本太郎
こんにちは。当ブログへのご訪問ありがとうございます。
- スヌープ・ドッグの伝説のスピーチが示す究極の自己愛とは何か
- なぜ「自分を満たす」ことが最優先なのか(シャンパンタワーの法則)
- 岡本太郎の哲学「嫌われることを恐れない」と自己愛の意外な関係
- 矢沢永吉の「振れ幅の法則」から学ぶ、自分を貫く生き方の本質
- 他人の評価から自由になり、QOL(人生の質)を高めるためのヒント
スヌープ・ドッグの殿堂入りスピーチと自己愛とは?
- 全文紹介「自分自身に感謝したい」スピーチ
- なぜこのスピーチが世界中の心を打つのか?
- 究極の自己肯定「アファメーション」の本質
いやー、ぶっちゃけ度肝を抜かれました(笑)。
ラッパーのスヌープ・ドッグが、音楽界での長年の功績を称えられてハリウッドの「ウォーク・オブ・フェーム」に殿堂入りした時のスピーチ。
普通、こういう場って、家族とか、仲間とか、ファンとか、お世話になった人たちに感謝を述べるじゃないですか。
もちろん彼も、周りの人への感謝を述べたんです。
でも、最後の最後に、とんでもないサプライズが待ってました。
「最後に俺自身に感謝したい」って言い放ったんですよ。
これ、めちゃくちゃカッコよくないですか?
初めてこのスピーチを聞いた時、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
僕達は小さい頃から「他人に感謝しなさい」「謙虚でいなさい」って教えられて育ってきましたよね。
もちろん、それは大事なことです。
でも、「自分自身に感謝する」っていう視点は、ほとんどの人が持ってないんじゃないかと思うんです。
この章では、まずその伝説のスピーチを紹介して、なぜこれが僕達の心をこんなにも揺さぶるのか、そして、これが究極の自己肯定、つまり「アファメーション」の本質とどう繋がるのかを、僕なりに掘り下げてみたいと思います。
全文紹介「自分自身に感謝したい」スピーチ
まずは、その衝撃のスピーチを全文紹介しますね。
周りへの感謝を述べた後、彼はこう締めくくりました。動画はコチラ。
Last but not least, I wanna thank me. I wanna thank me for believing in me. I wanna thank me for doing all this hard work, for having no days off. I wanna thank me for never quitting. I wanna thank me for always being a giver, and trying to give more than I receive. I wanna thank me for trying to do more right than wrong. I wanna thank me for just being me at all times. Snoop Dogg, you a bad motherfucker.
最後になるけど、大事なことを言い忘れていた。俺は俺に感謝したい。俺を信じてくれた俺に感謝したい。全てのハードワークをこなしてきた俺に感謝したい。休みなんて1日もなかった。絶対に諦めなかった俺に感謝したい。いつも与える側でいようとしてくれた俺、受け取る以上に与えようとしてくれた俺に感謝したい。間違ったことよりも正しいことをやろうと努めてきた俺に感謝したい。どんな時も俺でい続けてくれた俺に感謝したい。スヌープ・ドッグ、お前はマジでヤバいワルだぜ。
by Snoop Dogg
どうです?
シビれますよね(笑)。
こんな販売停止になるようなお下劣な歌をうたってる人とは思えないww
これを公の場で、堂々と言えるのが本当にすごい。
普通なら「なんて傲慢なやつだ」って思われかねないじゃないですか。
でも、彼が言うと、不思議と嫌味がない。
むしろ、清々しささえ感じます。
それは、彼が本当に血の滲むような努力をしてきたことを、彼自身が誰よりも知っているからなんだろうなって思うんです。
なぜこのスピーチが世界中の心を打つのか?
このスピーチがなぜこれほどまでに僕達の心を打つのか。
それは、僕達が普段、最も疎かにしていることを、彼が堂々とやってのけたからだと思うんです。
それが「自分を認めて、褒めて、感謝する」っていう行為です。
例えば、仕事で大きなプロジェクトを成功させたとします。
その時、上司や同僚、クライアントには「ありがとうございました」って感謝を伝えますよね。
でも、その裏で徹夜続きで頑張った自分、プレッシャーと戦い続けた自分に「よくやったな、ありがとう」って声をかけてる人って、どれくらいいるんだろうか。
自分自身への感謝を忘れて、周りにだけ感謝を伝えるのって、言うなれば、毎日必死に走ってくれる自分の愛車に一度も「ありがとう」と言わず、ガソリンスタンドの店員さんにだけ「いつもありがとうね」って言ってるようなものかもしれません(笑)。
車がなきゃどこにも行けないのに。
一番の功労者は、自分自身のはずなんです。
スヌープ・ドッグのスピーチは、その当たり前だけど忘れがちな真理を、強烈なインパクトで僕達に思い出させてくれた。
だからこそ、人種や国境を越えて、多くの人の心に響いたんじゃないかなって、僕は感じます。
究極の自己肯定「アファメーション」の本質
そして、このスヌープ・ドッグの言葉って、実は僕が15年以上続けている「アファメーション」や「瞑想」の本質そのものなんですよね。
アファメーションっていうのは、肯定的な自己暗示のこと。
「僕はできる」「僕は価値がある」みたいに、自分に対してポジティブな言葉を語りかけることです。
これって、まさにスヌープ・ドッグがやったことそのものじゃないですか。
「俺を信じてくれた俺に感謝したい」
「絶対に諦めなかった俺に感謝したい」
これ以上ないくらい、パワフルなアファメーションです。
多くの人は、アファメーションを「未来の自分」を創るためにやるものだと思ってます。
もちろんそれも正しいんですが、もっと大事なのは「過去と現在の自分」を肯定し、感謝することなんです。
今まで頑張ってきた自分、失敗しても立ち上がってきた自分、その全てを認めて「ありがとう」と伝える。
その土台があって初めて、未来へのアファメーションが本当に力を持つんだと、僕は自分の経験から感じています。
僕自身、アフィリエイトで独立するまで7年もかかりましたし、その間は本当にお金がなくて、コンビニでお菓子すら子供に買ってあげられないクソみたいな時期がありました。
でも、そんな過去の情けない自分も含めて、「よく頑張ったな」って認めてあげることで、今の自分がある。
スヌープ・ドッグのスピーチは、その自己肯定の究極の形を見せてくれたように思うんです。
この話については、以前こちらの記事でも詳しく書きましたが、瞑想やアファメーションは、まさに「自分との対話」であり、自分を深く知るための最高のツールなんですよね。
シャンパンタワーの法則で見るスヌープ・ドッグの殿堂入りスピーチと自己愛
- まず自分を満たすことが全ての始まり
- 「足るを知る」感謝の心が自分を愛する第一歩
- 他人からの評価を気にしない心の作り方
スヌープ・ドッグのスピーチが「自分を愛すること」、つまり自己愛の重要性を示しているのは、なんとなく分かりますよね。
でも、「自分を愛する」って、一歩間違えるとただの自己中心的な考え方に見えちゃう危険性もあります。
「他人はどうでもいい、自分さえ良ければいい」っていうのとは、全く違うんですよね。
むしろ、真逆。
本当に自分を愛することができて初めて、心から他人にも優しくなれたり、価値を提供できたりする。
この章では、そのメカニズムを「シャンパンタワーの法則」という有名な例え話を使って解説しつつ、「足るを知る」という感謝の心、そして他人からの評価に振り回されない心の作り方について掘り下げていきたいと思います。
まず自分を満たすことが全ての始まり
「シャンパンタワーの法則」って聞いたことありますか?
結婚式とかで見る、グラスをピラミッド状に積み上げて、一番上からシャンパンを注ぐアレです。
あのタワーを、自分と自分を取り巻く人間関係に例える考え方です。
一番上のグラスが「自分自身」。
その下の段が「家族やパートナー」。
さらにその下が「友人や同僚」、そして一番下が「社会」といった感じです。
シャンパンを注ぐ時、どこから注ぐかと言えば、当然、一番上のグラスからですよね。
一番上のグラス(自分)がシャンパンで満たされて、そこから溢れたものが、下の段のグラス(家族やパートナー)を満たしていく。
さらにそこから溢れたものが、また下の段のグラス(友人や同僚)を満たしていく…。
これが何を意味するかと言うと、まず自分自身の心を満たしてあげないと、その幸せやエネルギーは周りの大切な人たちには伝わらない、ということです。
自分自身がカスカスの状態で、他人に何かを与えようとするのは、一番上のグラスが空っぽなのに、無理やり下のグラスにシャンパンを注ごうとするようなもの。
タワーはガタガタになるし、誰も幸せになりません。
スヌープ・ドッグが「俺自身に感謝する」と言ったのは、まさにこの一番上のグラスを、自分で満たすという行為の象徴だと僕は思います。
誰かに満たしてもらうのを待つんじゃなく、自分で自分を認め、愛し、満たす。
そこから溢れ出た自信やエネルギーが、彼の音楽となり、周りの人々を魅了し、結果的に大きな成功に繋がったのではないでしょうか。
「足るを知る」感謝の心が自分を愛する第一歩
じゃあ、どうやって「自分を満たす」のか。
その第一歩が「足るを知る」こと、つまり、今あるものに感謝することだと僕は思っています。
僕達はつい、自分に「ないもの」ばかりに目を向けてしまいがちです。
「もっとお金があれば」「もっと時間があれば」「もっと才能があれば」…。
でも、そうやって「ないもの」を追いかけているうちは、シャンパンタワーの一番上のグラスは、底に穴が空いているようなもの。
いくら注いでも、一向に満たされることはありません。
そうじゃなくて、まず「あるもの」に目を向ける。
「今日も健康で目が覚めた、ありがたい」
「雨風をしのげる家がある、ありがたい」
「話せる仲間がいる、ありがたい」
当たり前すぎて普段は意識すらしないことの中に、感謝できることは無数にあります。
特に健康なんて、失って初めてそのありがたみが分かる最たるものですよね。僕も50代になって、本当に「健康こそ全て!」って思うようになりました(笑)。これについてはコチラの記事でも熱く語ってます。
こういう小さな感謝を積み重ねていくと、心のグラスの穴が少しずつ塞がっていって、満たされやすい状態になっていく。
これは心理学でいう「返報性の法則(価値あるものを受け取ったら、何かお返しをしたくなる心理)」を自分自身に応用するようなものかもしれません。
自分自身の「今ある価値」に気づき感謝することで、自分の中からさらにポジティブなエネルギーが「お返し」として湧いてくる、みたいな感じです。
スヌープ・ドッグのスピーチも、彼の成功という結果だけじゃなく、そこに至るまでの「ハードワーク」や「諦めなかった自分」というプロセス、つまり「すでにある自分の価値」に感謝していますよね。
自分を愛するって、何か特別なことを成し遂げることじゃなく、案外こういう地味な感謝の積み重ねから始まるのかもしれません。
他人からの評価を気にしない心の作り方
自分を満たし始めると、次にぶつかるのが「他人からの評価」という壁です。
特に、スヌープ・ドッグのように「自分に感謝する」なんてことを口にしようものなら、「調子に乗ってる」「自己中だ」なんて言われるんじゃないか、って不安になりますよね。
僕も昔は、めちゃくちゃ周りの目を気にするタイプでした。
でも、ある時から「まあ、いっか」って思えるようになったんです。
他人のモノサシで自分の価値を測るのをやめた、というか。
他人の評価に振り回される人生って、例えるなら、一生他人の家で、その家のルールに従って間借り生活を続けるようなものです。
居心地は悪いし、窮屈だし、本当の意味でくつろぐことはできません。
自分の人生という「家」は、自分でルールを決めて、自分が一番居心地いいように作り上げていくべきなんです。
そのためには、他人の評価という「雑音」から少し距離を置く必要がある。
このテーマについては、次の章で紹介する岡本太郎さんや、矢沢永吉さんの哲学が、めちゃくちゃ参考になるので、詳しく掘り下げていきたいと思います。
岡本太郎の哲学とスヌープ・ドッグの殿堂入りスピーチと自己愛の共通点
- 「嫌われることを恐れない」という強さの本質
- 岡本太郎の名言に学ぶ「自分を貫く」ということ
- ブルース・リーの陰陽思想と自己愛のバランス
「自分自身に感謝する」というスヌープ・ドッグの自己愛と、あの「芸術は爆発だ!」の岡本太郎。
一見すると、全く結びつかないように見えますよね(笑)。
僕自身、正直に言うと岡本太郎さんの作品の価値はよく分かりません(汗)。
でも、彼の哲学、彼の言葉は、めちゃくちゃ熱くて大好きなんです。
心が燃えるような、強烈なエネルギーがある。
そして、彼の哲学を深く掘り下げていくと、スヌープ・ドッグが示した自己愛と、実は根っこの部分でガッチリ繋がっていることに気づかされるんです。
この章では、「人に嫌われること」を恐れない岡本太郎の強さと、それがどう自己愛に結びつくのか、そしてそこにブルース・リーの陰陽思想も絡めながら、僕なりの解釈を語ってみたいと思います。
「嫌われることを恐れない」という強さの本質
岡本太郎は、こんな言葉を残しています。
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。
by 岡本太郎
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決め、自分を貫いていけば本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。
by 岡本太郎
これって、かなり過激に聞こえますよね。
自ら人と争いたいわけじゃないし、葬式に誰も来てくれないような生き方は、できれば避けたい(笑)。
でも、彼の言いたいことの本質は、「積極的に人を嫌いになれ」とか「孤立しろ」ってことじゃないと思うんです。
そうではなくて、「自分の信じる道を、自分の価値観で突き進め。その結果として、もし誰かに嫌われたり、理解されなかったりしても、それは仕方がないことだ」という、ある種の「覚悟」を説いているんじゃないかと。
これって、スヌープ・ドッグが「どんな時も俺でい続けてくれた俺に感謝したい」と言ったのと、本質は同じだと思いませんか?
「俺でいる」ことを貫くには、他人にどう思われるかをいちいち気にしていたら、絶対に無理なんです。
誰かの期待に応えるために自分を偽ったり、周りに合わせて自分の意見を曲げたりした瞬間に、それはもう「俺」ではなくなってしまう。
だから、自分を愛し、自分自身であり続けるためには、「嫌われるかもしれない」というリスクを受け入れる強さが絶対に必要になるんです。
岡本太郎の名言に学ぶ「自分を貫く」ということ
岡本太郎の言葉には、その「自分を貫く」ためのヒントが散りばめられています。
僕が特に好きな言葉をいくつか紹介させてください。
- 挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたまま降りてしまったやつには新しい人生などはない。
- 危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
- 私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。
これらの言葉に共通するのは、「安易な道に逃げるな、自分と向き合え」という強烈なメッセージです。
僕自身の人生を振り返っても、洋服屋を潰して、妻の親父の工場で働いていた頃は、まさに「挑戦を避けて降りてしまった」状態でした。
月5,000円のお小遣いで、子供にお菓子も買ってあげられない。
そんなクソみたいな人生に情けなくなって、副業を始めたのが僕の「挑戦」の始まりでした。
もちろん、最初は失敗ばかり。
詐欺みたいな情報に大金をつぎ込んだりもしました(笑)。まさに「不成功者」です。
でも、岡本太郎の言う通り、その失敗があったからこそ、「地に足つけてスキルを伸ばそう」と決意できたし、その後の人生に繋がった。
もしあの時、困難な道を選ばずに、不満を言いながらも楽な道に居座っていたら、新しい人生なんて絶対になかったと断言できます。
自分を貫くってことは、常に自分自身と闘い続けることなのかもしれません。
ブルース・リーの陰陽思想と自己愛のバランス
ここで少し、僕の尊敬するブルース・リーの話をさせてください。
彼は「考えるな、感じろ」という言葉で有名ですが、実は大学で哲学を専攻した超理論派の哲学者でもあります。
彼の思想の根幹にあるのが「陰陽思想」です。
万物は「陰」と「陽」の二つの側面から成り立っていて、片方だけでは存在し得ない、という考え方です。
光があれば影がある。静けさがあれば動きがある。
これ、自己愛と「嫌われる覚悟」にも、そっくりそのまま当てはまると思うんです。
「自分を愛する」というポジティブな側面(陽)を貫こうとすれば、必ず「他人に理解されない、嫌われる」というネガティブな側面(陰)がセットでついてくる。
この二つは表裏一体で、切り離すことはできないんです。
ブルース・リーは言います、「極端な2つを持つのは『機械』であり『人間』ではない」と。
誰からも嫌われず、ただただ自分を愛せる、なんていう完璧な状態は存在しない。
それは機械の発想です。
「嫌われるかもしれない」という怖さや不安(陰)を受け入れ、それと向き合いながら、それでも「自分を愛する」という道(陽)を進んでいく。
そのアンバランスなバランスの中にこそ、人間らしい強さや、本当の自己愛があるんじゃないかなって思います。
矢沢永吉に学ぶ「振れ幅の法則」とスヌープ・ドッグの殿堂入りスピーチと自己愛
- 「プラス5とマイナス5」が意味するもの
- 孤独を恐れずQOL(人生の質)を高める生き方
- 誰にでも好かれようとしない勇気
自己愛を貫くと、人に嫌われることもある。
岡本太郎の哲学やブルース・リーの陰陽思想を通じて、その覚悟の重要性について話してきました。
このテーマを語る上で、もう一人、絶対に欠かせない人物がいます。
そう、永ちゃんこと矢沢永吉さんです。
彼の生き様や言葉には、「自分を貫く」とはどういうことか、その結果何が起きるのか、という本質が詰まっています。
この章では、矢沢永吉さんの有名な「振れ幅の法則」の話を引用しながら、孤独を恐れずに自分のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=人生の質)を高めていく生き方について、考えていきたいと思います。
「プラス5とマイナス5」が意味するもの
矢沢永吉さんには、有名な「プラス5とマイナス5」の話があります。
3:17~ 僕はやっぱり自分自分愛してるもん。これで自分幸せになりたいと思ってる。そんだけのことです。
これ昔から僕自分の理論なんですけども・・・ゼロがあるでしょ?
グラフィック、線あって。こうグラフィックあるわけ。
こっちはプラスの世界でこちらがマイナスの世界。これメモリがあるわけ。 123456。こっちも1234-3
5のプラスをチャレンジしようと思ったら絶対にマイナスの 5 が背中合わせにつきまとってるんだと言っても言いすぎじゃないぐらい、世の中はね。
それで10望もうと思ったら10 の敵がいる。
それで俺は敵作るの嫌だ。 0でいったらマイナスの0もいらへん。でもプラスも0だ。
さてアナタはどっち選ぶか?自分で選びなさいっていう選択権は自分にあるんだから。うん。 ほったら俺考えたやな。・・・僕はプラスの10を取りにいこうと思った。
彼が言うには、何かを表現したり、前に出たりすると、必ず評価が分かれると。
10人いたら、5人は「いいね!」って言ってくれる熱狂的なファンになるかもしれない(プラス5)。
でも、同時に残りの5人は「なんだアイツ、気に食わねえな」っていうアンチになる(マイナス5)。
でも、何もしなければ、誰からも好かれもしないけど、嫌われもしない。「ゼロ」のまま。
「どっちの人生がいい?」って永ちゃんは問いかけるんです。
これ、めちゃくちゃ本質を突いてると思いませんか?
僕達は、ついマイナスを恐れて、「ゼロ」の地点に留まろうとしてしまう。
誰からも嫌われたくないから、自分の意見を言わなかったり、周りに合わせてしまったり。
でも、それって結局、誰の心にも響かない、いてもいなくても同じ存在になってしまうってことなんです。
スヌープ・ドッグが「俺自身に感謝する」とスピーチした時も、きっと世の中には「なんて奴だ」と眉をひそめた人(マイナス5)もいたはずです。
でも、それ以上に、僕みたいな多くの人々が「最高だ!」と熱狂した(プラス5)。
彼が「ゼロ」を恐れず、自分を貫いたからこそ、あれだけの大きな「振れ幅」が生まれたわけです。
自分を愛し、自分を表現するということは、この「振れ幅」を受け入れる覚悟を持つことと、同義なのかもしれません。
孤独を恐れずQOL(人生の質)を高める生き方
「でも、やっぱり嫌われるのは怖いし、孤独は嫌だ」って思いますよね。
僕もそうです(笑)。
でも、ここで大事なのは、QOL(人生の質)という視点だと思うんです。
無理して周りに合わせて、嫌われないようにビクビクして生きる人生と、たとえ理解者は少なくても、自分の価値観を貫いて、気の合う仲間と深く繋がって生きる人生。
どっちがQOLが高いか?って話です。
僕自身のことで言えば、今はクライアントを持たず、ネットだけで完結するビジネスをしています。
だから、無理に付き合う必要のある人は一人もいません。
価値観の合う、ごく少数の人たちと深く繋がっている。
このブログもそうですよね。
僕が好き勝手なことを書いて、それに共感してくれる人だけが読んでくれればいい、というスタンスです(笑)。
9割以上の人は興味ないだろうけどw、それでいいんです。
その方が、精神的にはめちゃくちゃ楽だし、QOLは格段に高いと感じています。
全員に好かれることを諦めた瞬間に、本当の意味で自分らしい、質の高い人生が始まるのかもしれません。
誰にでも好かれようとしない勇気
スヌープ・ドッグ、岡本太郎、矢沢永吉。
ジャンルは違えど、彼らに共通するのは「自分」という絶対的な軸を持ち、それを貫き通してきたことです。
彼らの生き様は、僕達に「誰にでも好かれようとするな」という勇気を与えてくれます。
心理学には「コミットメントと一貫性(一度決めたことや公言したことを、最後まで貫き通したくなる心理)」という法則があります。
最初に「自分を愛する」「自分を貫く」とコミットメント(決意)することで、他人の評価にブレそうになった時も、「いや、自分はこう生きると決めたんだ」と、一貫性を保とうとする力が働くんです。
スヌープ・ドッグのスピーチは、彼自身が長年続けてきた「自分であること」へのコミットメントを、世界に向けて改めて宣言した、最強の自己暗示だったのかもしれませんね。
まずは「自分は、誰にどう思われようと、自分を愛し続ける」と決めてしまう。
その小さな決意が、大きな勇気の第一歩になるはずです。
まとめ:スヌープ・ドッグの殿堂入りスピーチと自己愛が僕達に教えてくれること
ここまで、スヌープ・ドッグの伝説のスピーチをキッカケに、自己愛の本質について、岡本太郎や矢沢永吉といった異ジャンルの偉人たちの哲学も交えながら、僕なりに考察してきました。
結局のところ、彼らが身をもって示してくれているのは、「自分」という存在から目を背けるな、という強烈なメッセージなんだと思います。
自分の弱さも、過去の失敗も、ダサい部分も、全部ひっくるめて自分。
それら全てを認め、受け入れ、「よくやってるよ」と感謝してあげること。
それが、本当の意味での「自己愛」のスタート地点です。
そして、その自分を貫こうとすれば、必ず摩擦が起きます。
理解されないこともあるし、嫌われることだってある。
でも、その「振れ幅」を恐れていたら、人生は「ゼロ」のまま。
誰の心にも響かず、自分自身でさえも満たされない、空虚なものになってしまいます。
まず、シャンパンタワーの一番上のグラスである自分を満たすこと。
そのためには、今あるものに感謝し、「足るを知る」心を持つこと。
そして、「嫌われても仕方ない」と腹を決め、自分の信じる道を進む覚悟を持つこと。
簡単なことではありませんが、そうやって生きる方が、最終的なQOL(人生の質)は間違いなく高くなると、僕は信じています。
僕もまだまだ発展途上ですが、これからも自分自身に感謝することを忘れずに、ブレずにやっていこうと思います(笑)。
- スヌープ・ドッグのスピーチは究極の自己愛とアファメーションの実践である
- 他者への感謝の前にまず自分自身の努力と存在に感謝することが重要
- シャンパンタワーの法則に基づきまず自分を満たすことが他者を満たす前提となる
- 自己愛の第一歩は今あるものに感謝する「足るを知る」心を持つこと
- 自分を貫くためには岡本太郎の哲学のように嫌われることを恐れない覚悟が必要
- 自己愛という陽と嫌われるという陰はブルース・リーの陰陽思想のように表裏一体である
- 矢沢永吉の振れ幅の法則は自分を表現すればファンとアンチが生まれることを示している
- 全員に好かれようとせず価値観の合う人と深く繋がる方が人生の質は向上する
- 自分を愛し貫くと決めるコミットメントが他者の評価にブレない軸を作る
- 自分自身の全てを受け入れ感謝することが本当の自己愛の始まりである