嘉麻市の一夜城は本当に一日で建ったのか?そもそも存在したのか??

いつもありがとうございます。

Myths and legends should be handed down from generation to generation.

『神話や伝説は代々受け継げられていくべきだ』

by DUO3.0の例文より

今のように機械のない時代に1日でお城を建てる。仮にそれが時代の「尾ひれ」がつき、伝言ゲームのように現実と違う、仮にそれが脚色だったとしても、ロマンがあって僕は好きです。(写真が下手でゴメンナサイ^^;)

鮭神社のすぐ近くの一夜城。2つの素晴らしい環境がある地元って地味に凄いことです。

「実は一日でお城なんて建っていない」「すでにお城は存在していた」・・確かにそれが正しい情報なのかもしれません。

でも正しい事が全て良い訳でもないですし、別に正しい事を知りたいわけでも無いし、心で大事にしているモノが「正しい」「文献的に間違っている」かどうかなんて、信じて楽しんでいる人たちにとっては、大して問題じゃないんです。

信じていて、そこにロマンを感じているのであれば、それはそれで良いのではないでしょうか?

サンタを信じている自分の子供に、ドヤ顔で「サンタはいないんだよ」とかいうアホな大人はいないはず。

一夜城は文献的に見ても嘘であるとか、そういったこと、むしろそちらの方が正しいのかもしれない、と言う事位理解していますが、地元でこのような素晴らしい「言い伝え」が残っている事、それを代々祭り事として受け継がれているのは素晴らしいことだと思っています。

ですので、一夜城の伝説は「正しかった」こと前提で話を進めていきますのでご了承ください。

サンタは居る派がいてもいいじゃないw

あくまでも、個人ブログになりますので、揚げ足を取ったり重箱の隅を突くようなチェックはご遠慮ください(笑)

昭和の一夜城の話|日本マクドナルド一号店

「一夜」という表現は、もちろん多少の着色がされているでしょう。

昔は、今みたいに24時間カッチリと計っていた様な時代ではないでしょうし、インパクトを持たせるために、幹部連中で申し合わせをし、3日→1日で出来た事にしてたりして(笑)

そういった意味では、マクドナルド第1号店は、まさに昭和の一夜城と言っても良いでしょう。

「銀座で話題になれば必ず成功する。」と信じた創業者「藤田田(ふじたでん)」さんは、マクドナルド本社の提案を蹴り、銀座の三越の交差点に出店場所を決めました。

「ここしかない」と、藤田は三越まで直談判に行くが、「三越の営業の邪魔にならぬよう、火曜日朝に開店できるなら出店してもらっても構わない」と無理難題を突き付けられる。

当時、銀座三越は月曜日が定休日で、これは『日曜日の閉店時刻(18時)から火曜日の開店時刻(10時)までに、水周りを含め全ての作業を終わらせた上で開店させることができるなら、出店を許可する』といった意味であった。

作業できる時間は実質40時間しかなかったが、どうしても銀座三越にこだわった藤田は、都内のとある空き地で銀座三越の出店予定スペースを再現させ、作業員に何度も何度もシミュレーションさせた。最初は60時間近くかかったが、練度が上昇すると、仕舞いには39時間足らずで作業を終わらせることに成功した。

ウィキペディアより引用

僕は、一夜城の言い伝えは、ロマンというか、血がたぎるというか、そういう気持ちになるので好きなんですよね。

実際に、昭和の時代に、無理難題をやってのけたマクドナルド一号店。もちろん、戦争などとは違いますけど、なんかワクワクしてくるんですよね。

豊臣秀吉、加藤清正、石田三成が地元に来たことがあるってだけで興奮モノですよ(笑)!!

小学校の時に、トシちゃん、マッチ、聖子ちゃんがジャスコに来るみたいな興奮度。

地元の言い伝えですし、もう、本当の所はどうなのかとか大した問題ではないといいいますか(笑)別に誰に迷惑をかける様な妄想じゃないわけですし。

月明かりしか無いような時代に、タイマツや米の音で偽装した城を作る発想というか、それ自体が凄くないですか?

遠くから観たら、本当に城が一夜にして建ったと思うのも無理ない話ですよね。

日本の一夜城について

ウィキペディアによれば、日本の一夜城は下記の様になっているようです。

  • 墨俣城・・豊臣秀吉の一夜城(創作の可能性大)
  • 石垣山城・・豊臣秀吉の一夜城(城は一夜で出来ていないという分析)
  • 益富城(嘉麻市今回の記事の一夜城)・・豊臣秀吉の一夜城、元々あった城を焼け落とし、一日で修復させた為、一夜城としている
  • その他、織田信長の長男、織田信忠が一夜城を作ったとの伝記も有り

>>ウィキペディア|一夜城

もう、なんか、現実から目を背けたくなる様な話ですよね(笑)

高っちゃん
織田信長も、なんか破天荒でものすごイイ感じになってるけど、おかしなオッサンやったかもしれんでww

松ちゃん
正々堂々と本能寺で焼け死んだってなってるけど、汗かいてバタバタバタバタしてたんちゃう?
高っちゃん
聖徳太子も7人の話を聴けたってなってるけど「ほんまか?」と
松ちゃん
「も1回やらせてくれ!あれ?おまえ、ちょ、変われ!!お前の声聞こえにくいわ!」いうて、選びぬかれたヤツで、ほんまは6人やけど「さっきの奴もカウントしてもええやろ、7人でええやろ」言うてるてw
高っちゃん
むりからやww

by 放送室

現実のところは実際にどうだったかは分かりません。

でも僕は、嘉麻市観光ポータルさんが調べて書いていただいている文章を見て、地元民として誇らしく嬉しくなります。

もうそれでいいじゃないですか(笑)

眼下に広がる炎の群れは、満天の星のごとく輝き、秀吉の軍勢で埋め尽くされたように見えました。

しかも、夜が明けると一夜にして見慣れぬ城が出来上がっていて、そこから流され落ちる水はまるで滝のように見え、秋月の軍勢には大きな驚きでした。

これを見た種実は「一夜にして城を築くとは、秀吉という人は人間に非ずして鬼神なり」と戦意を喪失し、豊臣方に下りました。

眼下に広がるキラ星の如き炎は秀吉がたかせたかがり火、突如出現した城は戸板やふすま、畳を集めて作った見せかけの城でした。また滝のごとく流れ落ちる水は、白米を流させたものだったと言われています。

>>【嘉麻市観光ポータルサイト】【一夜で出現した秀吉の城】益富の一夜城より引用

面白い話|嘉麻市のツクシの話

コチラの記事でお話を聴いた方から聞いた話なのですが、すごく面白い言い伝えだなと。

この一夜城の出来事の後、益富城の秋月種実一行は、豊臣秀吉に降参するため、戦う意思がないことを示すために袴(はかま)を脱いで戦意がないことを示し、豊臣側へ姿を現したそうです。

裃(かみしも)を脱ぐ・・堅苦しい態度を捨てて打ち解けること。裃(かみしも)は「袖のない上衣」と「袴(はかま)」の組み合わせのこと。

ウィキペディア|裃

一夜城の話と繋がっているかの様に、嘉麻市の馬見山近辺のツクシには「ハカマ」が無いそうです

誤解のないように言っておくと、この話を聴いた、嘉麻市の鮭神社の集落の方は、非常にリアリストであり、伝説を若い人間に無理やりに押し付けているみたいな感じは一切ありません。

僕は、この話をきいた時、ものすごくロマンチックでなんて素晴らしい話なんだと正直思い、「本当ですか!!凄いですね!!」って素直に喜んでしまいました。

その際にも、この方は「まあ、ハカマがないっていっても、土地の土の状態とかそんなのが関係あるとよ。で、ハカマがゼロってわけじゃなくて、ストレスがない環境だから、ハカマとハカマの間が長いとやろな」っておっしゃっていました。

でも、一夜城の話と、袴を脱いで豊臣側と腹を割って話そうとした城主、それを加味したら、むしろハカマがない理由は、一夜城の件があるからこそ、であって欲しいですよね(笑)

地理学的にとか、土壌的にとか、このツクシの種の特徴としてハカマとハカマの距離が長いとか、むしろ興ざめするというか(笑)

嘉麻市の一夜城にロマンを感じる

いかがでしたか?わが町に、かなりレアなモノが2つもある。

日本の市町村の数は、2018年(平成30年)10月1日の時点で、市が792、特別区が23、町が743、村が183で合計1,741である

ウィキペディアより

凄いですよね!!

鮭神社・・1741分の3

一夜城・・1741分の4

この記事を書いている管理人はAB型の左利き・・全人口の1%

 

鮭神社、一夜城、僕は孫には4割増しくらいで伝えていきたいと思います!!

Myths and legends should be handed down from generation to generation.

『神話や伝説は代々受け継げられていくべきだ』

by DUO3.0の例文より

 

 

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