こんにちは。いつもありがとうございます。
Myths and legends should be handed down from generation to generation.
『神話や伝説は代々受け継げられていくべきだ』
by DUO3.0の例文より
今日は、わが街自慢ということで、隣町(車で10分)の「鮭神社」に行ってきました。
一夜城もすぐそこにあります。
今でも、遠賀川源流サケの会の方々が、毎年活動をしてくださっています。
当方、前から鮭神社の事が気になっていたため、買い物ついでに写真撮影を兼ねて訪問させていただきました。
お参りして、写真を撮って帰るつもりだったため、カメラだけぶら下げて訪問。
その際に、集落の方がいらっしゃったため、ご挨拶をかねて「この地域の人たちは、鮭を食べないのですか?」という質問をさせていただきました。
すると、立ち話のあと「こっちにきんしゃい」と言って、畑の方に案内していただきました。
お陰様で、沢山面白いお話を聞かせて頂いたのですが、忘れるのは間違いないと不安が・・^^;
大変貴重な話で、正確に伝えたいと思ったのですが、話のコシを折り、ノートや携帯を車に取りに戻るのは失礼にあたると思い、メモや音声も取らずに、忘れないうちに記憶のみでこの記事を書き留めています。
ですので、記憶が曖昧な部分があり、ご迷惑・誤解を産む記事を書いているかもしれません。面白いお話をお聞きしたものの、すでに記憶が曖昧になっている(49歳ですのでご理解ください^^;)部分もあり、悪い方向に誤解が生じている可能性もなきにしもあらずです。
その際は、お手数ですがお問い合わせいただければ、早急に対応させていただきます。
お問い合わせはコチラよりお手数ですがよろしくおねがいします。
あと、1つお願いです。
「鮭神社」は、全国に1つということもあり、最近、老若男女、観光、取材の方も多いそうです。
この記事をみて「自分も!」みたいに、押しかけたりピンポン押して質問したりとか、集落の方に迷惑をかけないように!!
タイミング、空気感、相性、お仕事の都合、そういう様々な部分が全て重なったからこそ、貴重なお時間をたまたま作って頂けたに過ぎません。
あと1時間遅かったり、明日だったり、暑かったり寒かったり、もし僕一人じゃなく複数人で行っていたとしたら、もしかしたら今日の様な事は無かったかもしれないんです。
誰でもOKじゃないので、ご理解お願いします。そういう目的の為にこの記事を書いているわけではないので。
場所は観光地でもなんでもなく、集落の方が普通に生活しているところです。ズケズケとガサツに生活を壊す様な事はしないようにしてくださいね。
今回は、たまたま集落の方(遠賀川源流サケの会の理事の方)ともお話もでき、充実した時間を過ごすことが出来ました。
筑豊に住んでいる方は、何で辺鄙なところに鮭神社があるんだろう?とか、鮭と言えば北海道じゃないの??とか思われているでしょう。
僕も、恥ずかしながら今日が初めて。モンパチの歌詞が思い浮かぶ感覚でした(笑)一夜城もあり、鮭神社もあり、実は凄い嘉麻市。
ほら、あなたにとって、大事な人ほどすぐそばにいるよ
「集落の人間は鮭は食べない」「鮭を食べると呪われる」・・嘉麻市の鮭神社の噂は本当か?
テレビで紹介された湾曲な情報操作により、「鮭神社の集落の人たちは、鮭を食べない」という話が広まっています。
(嘉麻市鮭神社の)鎮座地のある集落では、鮭を捕ると目がつぶれ、家系が断絶するという言い伝えがあり、今でも鮭を食べないしきたりが残るという。また、土地の人が誤って鮭を食べてしまった時は『いま食べたのは鱒(マス)だ』と言い訳したともいわれる。
そのあたりについても、集落の方にお話を聴けたので、ぜひ最後までお読みください^^。
後述しますが、色々な日本昔話的なロマンチックな話はありますよね。
ですから、鮭を大事にしている地域の集落の方々が、「自分たちを守ってくれている鮭は食べない」というのは、受け継ぐべき伝統とも考えられ、そのような話があってもおかしくないかなと個人的には思います。
例えば、日本に6人しかいない、銀シャリの「鰻和弘」さんは、先祖代々「ウナギを食べない」家訓を守っているそうです。
かつて、家訓を面白半分に破ったチャレンジャーなご先祖たちがウナギを食べて亡くなっていたり、鹿児島のウナギを祀って(まつって)いる集落では、ウナギを食べた人が原因不明の心臓発作で2名も亡くなっているとのこと。
鰻さんのお兄さんは「うなぎパイ」を冗談半分で食べて、泡を吹いて倒れたり。
>>銀シャリ・鰻、ウナギの“祟り”に怯える?「冗談でも食べてはダメ」
これはプラセボ効果と呼ばれるモノです。
「これはかなり強力な風邪薬ですので、服用回数を守って飲んでください。かなり効果が高いです」とお医者さんに言われて、小麦粉か片栗粉だったか?飲むと風邪が治るというやつです。
また、熱心なクリスチャンの方には、「聖痕(せいこん)」と呼ばれる、イエスキリストがゴルゴダの丘で処刑される際に、手に釘を打たれた部分と同じ箇所に「外的な傷」ができる方もいます。
強烈な信仰心が、外傷すら作り出す。人間の体の神秘です。
その他にも、エヴァンゲリオンの碇シンジ役の声優の緒方恵美さんは、碇シンジが「沸騰する液体の中で叫ぶシーン」の回の収録日の次の日、喉が痛くて病院に行ったら、気管支ヤケドと診断されたとか、大竹しのぶさんも役に入り込みすぎて実際に吐血したりとか、僕たちの人体は、医学的にも説明出来ないような変わった事例が世界中で多々あります。
「病は気から」と言われますが、嘉麻市の鮭神社の方々も、本当に今の時代でも鮭を食べていないのか?気になるところでもあります。
そのような部分も、かなり面白い話を聴くことが出来ました。
嘉麻市の鮭神社とは?
海の神の使いが鮭に姿を変えてお参りに来ると伝えられる、鮭の名を冠した全国でも珍しい神社です。境内には鮭塚があり、毎年12月に献鮭祭(けんけいさい)が行われます。また、絵馬が奉納されています。
「鮭」を祀って(まつって)いる非常に珍しい神社で、北海道は分社で、嘉麻市鮭神社が正真正銘の「オリジナル」となります。
また、嘉麻市の鮭神社の方々も知らなかったそうですが、日本で自分のところだけと思っていた鮭神社が、島根にもあったとのこと。
つまり、日本で鮭神社は「嘉麻市」「北海道」「島根県」の合計3つ(そのうちの一つが、嘉麻市の鮭神社の分社の北海道)となります。
ウィキペディアにも掲載されていませんが、島根の鮭神社は、規模としては嘉麻市の鮭神社よりも小さいそうですが、実際に存在しています。
嘉麻市の鮭は炭鉱で、島根の鮭は鉱山採取(金粉・・ゴメンナサイ、詳細は忘れました。。)で、川に戻って来なくなったそうです。
島根の鮭神社を、嘉麻市の鮭神社の方々が知った経緯が面白い。
余談ですが、嘉麻市の鮭神社の方々は、「日本にただ一つの鮭神社」とずっと思っていたそうです。
ご先祖様のからの引き継ぎの情報でも、ここ(嘉麻市)が日本で唯一の鮭神社であるとの話。
ところが、島根県の鮭神社の宮司の方の親戚が大分の方にいらっしゃるらしく、たまたま嘉麻市の鮭神社の前の道を通って大分に向かっていたそうです。
車で大分へ行く途中、道沿いに「鮭神社」の案内看板を見つけた「島根県の鮭神社の宮司」の方は、大分の帰り、嘉麻市の鮭神社に立ち寄り、宿泊して、交流を深めたとのこと。
そして、のちに嘉麻市の鮭神社の方々6名で、島根県の鮭神社に行かれたそうです。
歴史は、圧倒的に嘉麻市の鮭神社の方が古く、大きさや規模も島根県の鮭神社は小さいとのことですが、島根県の鮭神社の宮司の方の代になり、車でたまたま「嘉麻市の鮭神社」の前を通り、鮭神社の「観光の看板」を見つける。
運命的な感じすらしますよね。大分に行くルートはいろいろありますから。。凄いですよね。引き寄せた感すらあります。
嘉麻市鮭神社のご利益について
パワースポットとして最近注目されている、嘉麻市鮭神社の主な御利益は以下の通り。
- 夫婦クス(天然記念物)・・夫婦円満
- 鮭・・産卵をするために川を登ってくる鮭になぞられ、子宝に恵まれる。【管理人の意見】資産や宝、財産を貯められる(鮭は沢山卵を産むので。)義理人情に厚い(鮭は戻ってくるので笑)
また、鮭になぞられたご利益の付随した所として、水産物、水産業界関連の企業の方の奉納なども多いそうです。
僕たち福岡の商売人が、「十日えびす」のお守りを購入したりするのと同様、奉納し、水産物の商売繁盛の祈願として、嘉麻市鮭神社を利用されている企業様もいらっしゃるようです。
嘉麻市鮭神社の場所
地元の人間でも、見落としがちな立地条件になっています。
普通の神社が頭の片隅にあると、視界に入ってこないと思います。本堂は歩いていかなければいけません。
道路沿いには、鳥居がありますが、鳥居から神道が真っすぐ伸びているわけではなく、本堂は少し歩いていきます(1分くらい)
嘉麻市鮭神社の境内の様子
大変失礼な先入観で、鳥居からちょっと歩いていく感じだったので、境内も祠がちょっとあってくらいの感じだと思っていました。
しかし、パワースポットと呼ぶにふさわしい、素晴らしい場所で、綺麗に掃除がされていて、落ち葉も少なく、集落の方が大事にされているんだなと感じる神社の境内でした。
靴を脱いで、祠の中へ。
寄贈物が沢山あり、北海道の方も沢山寄贈されているのがわかります。
嘉麻市鮭神社の圧巻の夫婦クス
境内は綺麗に清掃されていて、かなり厳かな雰囲気が漂っています。神社仏閣は、凛とした気持ちになるので良いですね。
神社の歴史は、そこに祀られている、自然に生えている木の大きさで分かりますが、嘉麻市の鮭神社の楠はビックリする位の大きさです。
カメラしか持ってきてなかったので、大きさの比較が出来ないので、ビーサン2つとアップルウォッチで大きさを察してください(笑)
鮭神社の集落の方は本当に「鮭を食べない」のか?
タイミングよく、畑仕事をされている鮭神社の集落の方がいらっしゃったので、畑仕事が一段落終わったタイミングで、声をかけさせていただきました。
快く応じていただき、畑の椅子へ案内していただきました。
この方は、僕の母と同じ年齢で、昭和18年生まれ。
この集落で、鮭神社を代々守られているローカルの方です。現在はお仕事を退職され、畑仕事をされているとのこと。
冒頭の「鮭神社の集落の方々は、本当に鮭を食べないのか?」の質問に、シンプルに答えていただきました。
結果としては「現在、集落には70くらいの世帯があるが、実際に鮭を食べないのは2世帯のみ」とのことでした。
ウナギを祀っているところでウナギを食べたら原因不明で死んでしまうとか、そのような都市伝説的な感覚ではなく、「鮭を食べない」というのは、時代背景や、土地の立地、炭鉱の繁栄が関係しているようです。
(嘉麻市鮭神社の)鎮座地のある集落では、鮭を捕ると目がつぶれ、家系が断絶するという言い伝えがあり、今でも鮭を食べないしきたりが残るという。また、土地の人が誤って鮭を食べてしまった時は『いま食べたのは鱒(マス)だ』と言い訳したともいわれる。
鮭神社に奉納する「鮭」と食用の「鮭(鱒|マス)」
上の説明の補足です。まず、鮭神社に奉納する鮭は食べません。
遠賀川に登ってきた鮭は、今は嘉麻市のところまで上がってくるという事ではなく、芦屋の遠賀川のポイントで鮭が取れたら、その鮭を捕獲し、嘉麻市の鮭神社に持っていくそうです。
鮭神社の集落の方々は、「遠賀川に帰ってきた鮭は、神様の化身、神様の使い」と考え、この鮭は食べることはなく、鮭神社に奉納します。
上の写真の、平べったい石の上に、遠賀川で上がった鮭、または、北海道から奉納された鮭を置き、自然に任せます。
骨になった鮭は、境内に埋めるそうです。
鮭の奉納の儀式のあとも、集落の人たちで祀った鮭のおすそ分けなども無し
鮭の奉納の儀式が終わった後、集落の方たちで料理するなどの風習はあるのか?と思っていたのですが、遠賀川で取れた鮭、奉納された鮭に対しては、奉納物として扱うそうです。
昔から食用と奉納物は明確に分ける|食用の鮭、マス含め、言われている様なしきたり、風習はない
そして、食用の鮭に関しては、実際のところ、僕たちが鮭として食べているものは(鱒|マス)なので、そのあたりは割り切って、全く意識をしていないそうです。
遠賀川に上がってくる鮭は白鮭と言って本当の鮭なのですが、食用の鮭はマスなので、昔から意識することはなかったそうです。
仮に、お寿司屋さんで本物の鮭だと分かっても、鮭だから食べれない、食べない、集落の規則を破る行為だ、とか、そういった風習や言い伝えは、この方の知る限り、先祖も含め、集落ではないとのことでした。
そして、70世帯の集落の殆んどの家庭では、「お寿司を食べるな」「マスは良いが鮭はダメ」みたいなことすら話題にしないそうです。
おじいちゃんから息子、息子から孫、みたいな感じで、「魚は良いが、鮭はダメ!」みたいな言い伝え的な風習はないとのこと。
ウィキペディアの「(嘉麻市の鮭神社の)集落の人々は鮭を食べない」は、かなり湾曲した伝え話みたいなウソの情報のようです。
僕が話を聞いたこの方も、あるテレビ局の人に「からかって面白おかしくする位なら取材はしなさんな」と一度言ったそうです。
この地域の集落の若い子たちに「お寿司屋さんに行く?」「鮭は食べる?」「シーチキンを食べる?」みたいなことをかなり質問していた悪質なマスコミもいたそうです。
嘉麻市をはじめ、筑豊は盆地。そもそも、冷蔵庫のない時代に魚は食べられない
全国でも珍しい鮭神社という部分も重なり、「鮭神社に関係する地域の人たちは鮭を食べない」の話が広まっていったようですね。
口裂け女とか昔流行りましたが、そういった都市伝説的な感じもあるんでしょうね。
小学生の時は、本当に口裂け女に怯えていて、泣きながら「たのむきコンペイトウを買ってちゃ!!」って母ちゃんにガチで懇願してましたもんね(笑)
話を戻すと、鮭神社のある嘉麻市は、四方を山で囲まれた「盆地」です。
また、鮭神社の近くの山は「嘉穂アルプス」と呼ばれる日本山岳遺産です。
嘉麻市の方は、炭鉱の時代は「飯塚に行く」というのが一大イベントだったと聞きます。十キロちょっとの距離です。
この花嫁の歌詞のように、「県をまたぐ」事は、昔は凄く大変な事だったんですよね。今みたいに、電話やメールもない時代ですから。
単純に、鈍行列車と急行列車でも目的地までの時間が違います。
駅に行くまでの交通手段がなければ、家からバスで駅に行く。そのバスが仮に1時間に1回だとしたら、そのバスに乗るためにすでに「時間の拘束」が始まります。
このように、昔はかなり「移動する」ストレスや、物理的な時間のロスがあったはず。
これって食料にも直接繋がることで、時代背景や立地条件が、その地域の食料の品目を決めます。
冷蔵庫もなく、山を越えなければ海につかない。
今では車で1時間も行けば海に着きますが、昔は魚料理自体が盆地では食べることが稀だったそうです。
そして、冷蔵庫がない、保管が出来ない、そもそも盆地に行くまでに腐ってしまう、みたいな時代背景と立地条件で、当時筑豊地区では「塩漬けした魚」しか無かったそうです。
乾物ももちろんそうでしょうけど、昔は、例えば塩サバとか、塩鯛とか、海で採れた魚を塩漬けにして盆地を越えて持ってきてたそうです。
昔、この地域の方たちは、そもそも、鮭どころか「魚」が日常では無かったんですよね。
お話を聞いた方の、少し上の年代の集落の方たちは、福岡の水族館に行ったとき、初めて動く魚を観て「あ!塩サバだ!あ、塩タイだ!!あ、塩サンマだ!!」って言ってたそうです(笑)
「塩」ありきの魚の名前と思っていたそうです(笑)
僕たちの地域では、家庭にもよりますが、正月の雑煮に「ブリ」を入れます。
今回お話をお聞きした方も、雑煮にブリを入れる家庭だったそうで、小さい頃、つまり昭和20年あたりは、正月はブリを一匹丸々購入して、日陰に吊るしていたそうです。
ですから、そもそも鮭神社とか関係なく、魚を食べるという習慣がなかった、魚とは馴染みがなかった環境というわけです。
嘉麻市鮭神社の集落の方は、全て鮭神社の宮司!!
そして、面白いことに、鮭神社の集落70世帯の方、全て宮司とのこと。
宮司(ぐうじ)・・神社で祭事をする職のもの。
もちろん、お仕事もされていて、集落全体で鮭神社の事をされているのですが、全ての集落の方が宮司で、鮭神社のお祭り事を出来るというのは凄いですよね。
いかに地域の方が鮭神社を大事にしているのか?がわかる素晴らしい伝統ではないかと思います。
例えば、他の地域からこの集落に引っ越してきた家庭があるとします。
その方たちにも同様に、宮司になる為の工程を受けてもらうそうです。
炭鉱が影響して、鮭が上がって来なくなった
炭鉱が栄えるまで、遠賀川には鮭が沢山上がって来ていたそうです。
鮭と言えば北海道。
九州の気候で、鮭が上がってくるというのは、本当に不思議な感じがします。
実際に、サケの会の方たちが、卵から稚魚にするまでは、馬見山の川で育てるそうです。馬見山は標高があり、水がキレイで条件が良いとの事でした。
そのくらい、水とか気候に関しては魚はナイーブなのに、遠賀川に帰ってくるというのは奇跡的な感じすらします。
北海道に鮭神社がないのは、鮭は北海道では日常的なものであるから、わざわざ、鮭神社みたいに、鮭の「冠(かんむり)」で祀る(まつる)という感覚はなかったのかもしれませんね。
でも、九州の遠賀川で、北海道に生息している鮭を観る。
当時の方たちはさぞかしプレミア感があったんだと思います。縁起良すぎますよね!
このあたりで、川で遊んでるペンギンがいるくらいのプレミアム感だったのかなと、、違うか。。
でも、鮭神社が建てられたのが769年ですから、今から1200年前です!!
その当時、絶対にいないだろう!みたいなところに全く関係のない鮭がいる。考えるとすごいなと思います。
だからこそ、鮭神社を作り、感謝し、祭り事をし始め、先祖代々、集落の方全員で宮司になり、伝統を受け継いでいるんでしょうね。素晴らしいですよね^^
筑豊といえば炭鉱ですが、炭鉱でかなり遠賀川が汚れたため、登ってくる鮭が減ったそうです。
それでもやっぱり遠賀川に戻ってくるというのは、鮭の遺伝子に組み込まれたレベルで、何かしら本能的に感ずるところがあるんでしょうね。
「水があう」とか、「水清ければ魚住まず」とか言いますが、水は、生きているもの全てのライフラインです。
植物だって、水を基準に、サボテンとかの形態になるわけですから、九州と北海道の水の温度とか、かなり違うはずなのに、あえて遠賀川を選ぶというのが凄いなと思います。
シャレじゃないですけど、鮭には遠賀川の水が合うんでしょうね。
嘉麻市のパワースポット、鮭神社は素晴らしいところでした
いかがでしたか?今日は、近くのパワースポット嘉麻市の1200年の歴史を誇る「鮭神社」の紹介記事でした。
貴重な話も聞けて、本当にありがとうございました。
「灯台下暗し」などという言葉がありますが、本当に何十年も住んでいながら、一度も行ったことがなかったことを後悔する様な素晴らしいところでした。
近くに一夜城もあるし、一夜城も今度記事にします!