こんにちは。ご訪問いただきありがとうございます。
この記事は、落語を全く知らない落語初心者の方に、全力で落語の良さを語り尽くすために作りました(笑)完全な自己満足記事ですwこの記事を読んで、1個でも聴いてくれる人がいたら嬉しいです^^。
落語とかジジくさいわ~~、って人多いと思いますが(僕も49歳ですが、40歳過ぎまでそう思ってました^^;)よかったらお付き合いください。
僕は、落語が大好きで、特に江戸落語が好きで、かれこれ7年くらい色々なものを聴いています。
このページでは、なぜ僕が落語を好きになったのか?と言う部分と、落語のおもしろさ、おすすめの落語などを書いていこうかなと思います。
書く、言う、どちらもですが、人に何かを伝えるとき、いかにして「伝えたいこと」を知らせるかは重要ですよね。
話を聞いていて、相づちを打ちながら「この人何が言いたいんだろ?」「この人の話、早く終わってくれないかな…」みたいな経験はないでしょうか?
或いは、自分自身が伝える側の時、「何を伝えたいんだろう?」「何が言いたかったんだろう?」「何を書きたかったんだろう?」みたいな経験はありませんか?
時間軸の考え方として2つあり
- 現在が積み重なり未来になる
- 未来を決めて、未来に向けて現在を積み重ねる
の2通りで、落語は、2番であり、「ゴール(オチ)をいかに飽きさせずに相手に伝えるか?」が楽しみながら学べる最適なものじゃないか?と僕は思っています。
書く、言う、どちらにしても、人に何かを伝えるのは、「伝えたいこと(未来)」ありきこそなので、頭の中で適当に浮かんでくること(現在)を、書いたり言っても、相手には伝わりにくい。現在を積み上げて未来になっても、聞き手は全く意味が分からないんですよね^^;。
自分では完全にストーリーが出来てるから、思いついたことを口から言ってるけど、相手は全く理解できないんですよね。
これが、仕事とかなら「もっと伝わる様に」みたいに怒られますから、俯瞰してNGだった、、とか分かります。
でも、プライベートでコレやったら、「おもんなー」「話がダルいわ~~」って心の中で思われてるだけです^^;。
冒頭のダイハードの話も、伝え方によっては全くおもんないってことになるんですよ。削るところは削る、イメージしにくいところは肉付けするみたいな(笑)
これって、仕事のプレゼン、友達とのトーク、全て同じですよね。
そんな感じで、ゴール(未来=オチ、サゲ)が必ずあり、そこに向けた伏線(枕や途中の話の強弱)で十人十色になる落語は、自然とトーク力とかライティング力が上がるのは間違いないかなと。
それでは、落語の事を知る前に、まず冒頭の「ダイハード」の話題になった放送室の話が収録されている下の動画を聴いてください。
4分56秒からダイハードの話になっていますので、その時間にセットしているため、動画をクリックすると、ダイハードの話から聴けます。
この動画は「落語の魅力」を松っちゃんたちが語っています。
放送室のある回ですが、この話になった話の流れは、最近の若手のコントや漫才が、話の辻褄が合っていないから気持ちが悪い、というのを松っちゃんと高っちゃんが話し始めたことからで、そこから落語の話になっていきます。
落語はオチから決めて話す。それに馴染んでおく事は、仕事やプライベート、人と話す聴く、文章を書く、全てにおいてメリットがある
話をする、話を聞く、どちらでもいいですが、人を話に引き込める人と、話し始めてオチまで「かったるい」人と2通りいると思います。
はよ、話終わらんかな~みたいな人(笑)「話す」は、日々の生活で絶対に必要です。
伝える、って部分まで広げると、話す、文章を書く、全てが当てはまりますよね。
話が上手な人もいれば、普通の話をしているのに、なんか余計な事言ったりとか、芯食ってなくて意味がよくわからないみたいな人もいる。
面白いという感情はないときもあるけど、聴いてるだけでストレスみたいな話の構成、とかの人もいますよね。
話が長い人でも面白い人は面白いし、話が短くても全く面白くない人もいるので、話の長さとかじゃないんですよね。
僕は、トーク術なんだろうか??とか、そのあたりってよく分からなくて。
なんで、面白くない話を今してるのを、この人は気づいてないんだろ??とか思っても、論理立てて「なぜか?」というのはずっと説明ができませんでした。
10年前くらいから放送室にどっぷりとハマリ、松本高須の「お笑い論」等を聴いていくうちに、自分では説明出来ないけど、言葉にするとこういうことだよな!!と言うのを、松っちゃんと高ちゃんが説明をしてくれていました。
お笑いをロジックで考えたことはなかったのですが、松ちゃん高須ちゃんは、お笑いを0から作るプロなわけで、その理屈を具現化でき、いろいろな事を考えているんだなというのが分かり、そして、自分の感覚というか、言葉には表せないけど、確信めいた部分が腑に落ちたのです。
なるほどな~って。
で、その原因は落語を聴いてるか否か?とか、そういう話も放送室では多くて。様々な回で取り上げられる「落語」にも、だんだん興味を持っていきました。
それ以来、松っちゃんや高っちゃんがお勧めする落語を聴き始め、そしてYouTubeで様々なものを聞き始めたのが、落語にハマったキッカケです。
冒頭の、ダイハードをどのように人に伝えるのか?というのも、(お笑いの若手は)落語を知らんとあかんわ、伝わらんかったら落語もっと勉強し、って話なんですよね。
つまり、何が言いたいかといえば、人に何かを伝える、という部分において、落語の力はものすごく影響があるんじゃないか?というのが松ちゃんの考えであり、僕もそうだなって共感する部分が多いんですよね。
モノを売る、文章を書くにも「ゴール」が明確じゃないとダメ
話すだけではなく、文章を書くのも同様です。
ライティングスキルには、パソナの法則、アイーダの法則など、様々なライティングテクニックがあります。
スピーキングのテクニックも沢山ありますよね。
でも、それは、あくまでも枝葉の部分であり、人に何かを伝える、何かの感情を伝えるというのは、ゴールから先に決めれる人の方が断然に良いわけです。
話を聞いていても、全く面白くない人というのは、頭の中で次々に浮かび上がる光景や発想を、出てくる順番で人に伝えているだけに過ぎないです。
落語は「オチ(下げ)」を引き出すために、枕(まくら)から始まり、その枕(まくら)が伏線になり、話の中盤のタルミをなくす。オチまで離脱させずに引っ張っていく。
日常会話でも、頭の中でゴールを決めて話している人と、適当に話している人は、人に対しての説得力、影響力の違いが出るのは明白です。
この文章も、今ここまで読んでいただいているということは、僕の一番最初の枕(まくら)に興味を持っている、話の整合性を知りたいからだと思います。
- 題名の落語というワード
- 人に話す、人に伝えるのに落語が必要な理由が知りたい
- 冒頭で、落語ではない、放送室の松っちゃんの話から入っているのが興味がある
- 松っちゃんはお笑いの中では「考えている」「論理派」という印象がある
- その松っちゃんがダイハードを面白く伝える??これと落語が何の関係があるのか?
みたいな感じで、僕は、みんなに落語を一つでも聞いて欲しいという気持ちがあるので、枕(まくら)(冒頭)から分かりやすい、落語を知らなくても、ほとんどの人が共通で知っている「松ちゃん」の名前を出し、興味を持ってもらえる様な伏線を打って記事を書いているのです。
「人に何かを勧めるという【オチ】の為に、話したり、記事を書く」と考えると、ここまで読んでもらえる工夫をする必要があるということです。
やってることは、「オチ→モノを売る、サービスを提供する」の部分が「オチ→紹介している動画(落語や放送室)を観てもらう」に変わっただけですよね。
ちなみに、落語の話なのに松本人志の名前を出すのは、ライティングや心理学でいうところの、「権威性」というテクニックを使っています。落語の話なので、古今亭志ん生さんの名前を出せば良いのですが、僕は「落語を知らない人」に落語を勧めたいのでこの記事を書いています。
古今亭志ん生さんは、落語を知っている方、ご年配の方であれば「落語といえば古今亭志ん生」というくらいの方ですが、僕が読んで欲しい人たちは、落語についてほとんど知らない方だと思っています。・・・というか、そのような方に向けて記事を書いているのです。
ですので、お笑いの「大枠」まで広げ、落語は知らないけど、僕たち世代でほとんど知っているであろう「松本人志」の名前を出して権威性・この記事の信憑性、信頼性をあげています。
権威性とは、僕たち人間は、白衣を着ている人を「お医者さん」と紐づけて、「白衣=偉い人」と錯覚してしまう様な心理状態のことをいいます。
ちなみに、「古今亭志ん生」だけでは分かりませんか、「NHKのイダテンでビートたけしが演じていた落語家が古今亭志ん生です」ってなると、グッと親近感が湧くと思います。
SNSやホームページ(サイトやブログの事)で商品を紹介したり、モノを勧めたり、サービスを紹介する方は、このようなライティングスキルも覚えておくと良いでしょう。
もし、この記事が、冒頭から「今日は僕がおすすめ落語を5つ紹介しますね!」として、オススメ落語のYou Tubeに一言添える、だけではココまで読まれていないでしょう。
松ちゃんの放送室の話から入ることで、結果が知りたい、、と思っている、松ちゃんの名前があるので「グッと落語の距離が縮まった」と思うんです。
アイーダの法則とかのセオリー、GoogleのSEO(検索エンジン最適化の事です)、ライティングスキルは、もちろん勉強する必要はありますが、インターネットで自分の思いを伝える、と言う部分において、「感情を動かす」ことは、何が変わりはありません。
動画を勧めることと商品を売ること、何も変わらないということです。
- 「こいつの紹介する動画面白そうだなぁ、観てみろう!ポチッ」
- 「このサービス(講義・商品)良さそうだな!→問い合わせ」
って、僕たち人間は「感情」で動いているため、根っこの部分は同じです。
そういう意味で、接客業やビジネスパーソン、あるいは人と接する人、僕のように記事を書く人、企画を練る人には、話の構成を楽しみながら身につける事が出来る落語って凄くイイかなとオススメしたいのです。
SNSで何らかの自分のお店の宣伝をしたり、自分の伝えたいことを書くみたいなことをしている人も全く同じです。
堅苦しく勉強をする、みたいな感覚ではなく、娯楽として楽しむ。娯楽として楽しみながら、普段から話の構成の組み立てを無意識に構築できる。そんなイメージです。
僕も偉そうな事言っていますが、別にビジネスとか、トーク術を磨こうみたいな感じで落語を聞いているわけではないです。単純に楽しい、面白いから聴いています。
そのあたりを、まず放送室の松っちゃん高須ちゃんの会話を絡めながら、落語について分かっていただき、そのあとに、落語のおもしろさ、おすすめの落語みたいな感じで話を進めていきたいと思います。
この時点で文字数が約3000文字ww
最後までお付き合いください。
放送室の松っちゃん|「落語」がお笑いに影響を及ぼすという理論
放送室で松ちゃんは、若手は落語を覚えるべき、落語を知っている人たちは「話をしているとすぐに分かる」等、独自の考え方を様々な回で述べています。
ちなみに、下記の紹介する動画では「槇原敬之は落語が好きに違いない」と松っちゃんが前に予測してて、あとで槇原敬之が大学時代に落研だったということが判明する話もしています。
この話は、さだまさしさんの歌が流れたあとの会話で、松っちゃんが「さださんも絶対落語好きと思うねん」と言っています。
ちなみに、上の動画で話している「心配するな、わしもバイトや」というのは、古典落語ではなく、創作落語で、松っちゃんが好きな「桂枝雀」さんが得意としている演目です。
動物園の話は、怠け者でどうしようもない男の話で、仕事を長く続けることが出来ない男。その男が紹介されたのが、動物園の「虎のフリ」をする仕事。
子供たちに「トラとライオン」が人気の動物園での話。
目玉であった虎が死んで、子供たちをガッカリさせたくないので、死んだ虎の皮を被ってオリの中に入るという仕事。
「これほど楽な仕事はない」と思って始めた初日、隣のライオンのオリと、(自分の)虎のオリをつなげるというアナウンス。
オリの敷居が開く。
「そんなこと聞いてない!」「殺される!」と慌てふためく男に、ライオンがのしのしと近づき、耳元で「心配するな、わしもバイトや」とささやくというオチ。
この桂枝雀さんの落語は、オチが「心配するな、わしもバイトや」ではなく、「心配するな、わしが園長や」になっていますが、オチを「園長」か「バイト」にするかで、話の伏線が変わってきます。(*落語は「伏線」を楽しみ予測する楽しみもあります)
桂枝雀さんは、セオリー通りバッチリ伏線を作っています。
松ちゃん|俺だけが「おもろい経験」してるわけじゃない
この動画では、そもそも、面白い話を「面白い話として自分の頭の中にインプットできるかどうかで、全てが決まる」という事を話しています。
この話の中で出てくる「チャドのベローン」とは、芸人のチャドが、松っちゃんと山ちゃんと3人でオーストラリア旅行に行った時、チャドの実家でスパゲッティーが出て小皿に分けるときに、チャドが、家の開放感と疲れから、山ちゃんの皿に分ける時にフォークをベロンと舐めた話です。
この話は、放送室でも松っちゃんは話しているのですが、その話の入りが「この話伝わるかな~」で始まります。
その話の入り方もテクであり、話の削り方、ストーリの作り方など、落語などを知らないと組み立てることが出来ないということを言っています。
みたいな話ですね。
【本題】落語とは?
僕自身、落語はかなり聴いている方だと思います。歴は8年くらいです。
まず落語は、古典落語と、古典落語などを崩し時流に合わせた「創作落語」の大まか2つと思ってもらっていいかなと思います。
僕は基本的に古典落語しか聴きません。
上で紹介した動物園は、古典落語ではなく、創作落語になります。
また、落語は大きく分けて「江戸」「大阪」となり、ザックリと
- 江戸・・武士、吉原等の義理人情の演目も多い
- 大阪・・商人の話の演目が多い
みたいなカテゴライズでいいかなと思います。落研の方や、落語にガッツリ詳しい方からすれば、もう少し細かなカテゴライズがあると思いますが、ザックリとこんな感じ。
江戸落語は、寅さんの口上とかを思い描くと分かりやすいかなと思います。
僕の一番好きな落語家の志ん朝師匠の、高田馬場という演目の口上は見事です。
16分から始まる「ガマの油売り」の口上を是非とも聞いてみてください!噺家さんは凄いなと感心します。
古典落語の演目は、有名どころというか、落語家さんが話している、今でも受け継がれている数は200~300位らしいです。
噺家が選ばない話などを合わせると、もっと沢山あるとのこと。
上の「動物園」は、オチが「心配するな、わしもバイトや」とか、バイトという言葉があるので、現在の創作落語だとわかります。
このように、それぞれの時代に合わせた創作落語等も当然あったでしょうから、把握されていない数はものすごく多いのは分かりますよね^^
落語の大枠|枕(まくら)→サゲ(オチ)
落語は、別に堅苦しく考えることなく、単純に漫才を聴いたり、コントを観るみたいな感覚で全然OKです。
ただ、枕(まくら)から入り、オチ(サゲ)は絶対に決まっているということは覚えておくと良いです。*それぞれの演目には、オチ(サゲ)が変わっているパターンも存在します。
古典落語も含め、創作落語も基本的にはオチ(サゲ)があり、そのオチを効かせるための「枕(まくら)」があり、話の本筋があります。
オチ(サゲ)は、話によっては複数存在します。
先程の動物園の落語は、「心配するな、わしもバイトや」と「心配するな、わしは園長や」の2パターンのオチ(サゲ)あります。このページで紹介しているのは、後者の「園長」がオチになります。
オチ(サゲ)によって、伏線の引き方、話のやり方が変わります。
落語の楽しみ方|オチを想像しながら話を聴いていく
落語って不思議で、だいたい20~50分くらいの話なのですが、全く笑うこともないけど、めちゃくちゃ面白いみたいな感覚になります。
楽しい感情になりたくて落語を聴いているのに、50分間全く笑うこともない、でも楽しい、もう一度聞きたいみたいな感覚になるんです(笑)
稀有なお笑いのカテゴリーだなーと。
志村けんのコントなんて、シムラが酔っぱらいのカッコウで千鳥足で出てきたらすでに面白いじゃないですか?カトちゃんも、あのヅラ被ってたらもう笑うじゃないですか??
でも、落語って勘定の起伏が全くなく、オチ(サゲ)までいってしまうことなんて良くあるんです。
トーク術を上げたい!とかで聴くことはゼロで、更に、聴いたあと、感動したりホッコリすることもあるし、かといって、タメになったとかの感情ではなく、あくまでも娯楽。
でも笑いがない。もちろん、声を出して笑う落語もあります。
落語は、本を読むのが好き、小説を読むのが好き、みたいな人はたまらなく楽しいと思います。
枕(まくら)は、オチ(サゲ)に対する伏線と言いましたが、枕(まくら)を聴きながら、「オチ(サゲ)はどうなるんだろう?」みたいなワクワクした感覚になれます。
だいたい演目は50分程度が多く、その中でオチ(サゲ)はたったの最後の数十秒。
オチを常に考えながら、ずっと話を楽しく集中して聴いている。落語ってほんと不思議やな~って思います。常に「オチを知りたい!」「はよ、オチ、はよ!」の一点なんですよね(笑)
でも、オチに近づくにつれて寂しくなる感覚(笑)
結局、オチが楽しみといいながら、その話の空気感そのものが楽しいんでしょうね、きっと。
落語の面白さは、一番最初の枕(まくら)から、50分後のオチ(サゲ)まで、ワクワクしながら聴けることです。
落語を聴いていくと、オチ(サゲ)が分かっている古典落語の演目の数の方が多くなってきます。
オチ(サゲ)を知っている演目の方が増えてくるのですが、オチ(サゲ)を知らない話を聴くときは、本当に楽しくてたまりません。
たった数十秒のオチ(サゲ)のために、50分も飽きさせずに話を繋いでいくわけですから、噺家さんは本当に凄いなといつも思います。
また、オチ(サゲ)が最大の楽しみの落語とは言え、オチ(サゲ)を知らない演目を血眼になって探す!みたいな感覚はなく、オチを知っている話を何度も聴く(笑)
これも、落語の底力なのかなとも思います。
面白い話は、何十回聴いても面白い。噺家によっても別物の話になるし、同じ噺家さんでも、時間軸で全く違う話になっていたりするのも落語の魅力の一つです。
スラムダンクは、最後は山王に湘北は勝つのですが、結果は全く同じでも、ミッチーにフォーカスした回、リョータにフォーカスした回、裏方の視線の回、安西先生の心の動きにフォーカスした回、山王側にフォーカスした回、みたいなのがあると楽しそうじゃないですか?
スラムダンクファンなら買いますよね。僕も絶対買います(笑)
落語ってそんなイメージです(笑)
落語の楽しみ方|セオリーと裏切り
落語の別の楽しみ方として、噺家さんによっては、枕(まくら)がオチ(サゲ)と全く真逆の裏切りみたいなものなどもあります。
これがまた良い。
また、演題を観て、だいたい自分自身で想像していくわけですが、枕(まくら)を聴いている限り、全くオチ(サゲ)と関係のないような枕(まくら)を話したりするケースがあります。
その話のオチ(サゲ)を知らない場合、セオリーとは違うモヤモヤ感があるのですが、またそれがメチャクチャ楽しいです。
みたいな感覚になります。
オチ(サゲ)を聴いたら、結局、あの枕(まくら)の意味はこんな感じだったんだ!みたいな噺家さんのうまさ。
志ん朝師匠のこの高田馬場、枕(まくら)で全く関係の無い話をしている様に感じるのですが、オチ(サゲ)にいくと、全て繋がる感覚になります。
落語の楽しみ方|オチ(サゲ)を知っていても面白い
推理小説や、普通のドラマの場合、最終回が分かってしまうとネタバレになって全然面白くないですよね。
古典落語は、ウィキペディアで殆んどの話を読むことが出来ます。
落語の場合、不思議なところで、オチ(サゲ)が分かっていても、何度聴いても面白いです。
僕は、志ん朝師匠が一番好きなのですが、志ん朝師匠の柳田格之進は、何度聴いたか分かりません(笑)特に、このバージョンが好きです。
結末を知ってるのに、なんでわざわざ40分くらいの話を聞くんだ?と思うかもしれませんが、落語の楽しさが分かってくると、僕の言っていることも分かっていただけると思います(笑)
オチ(サゲ)を知らない話はドキドキする、オチ(サゲ)を知っていても噺家さんによって全然違う話になるので面白い、全く同じ噺家さんの、オチ(サゲ)を知っている話を何度も聴く。
様々な楽しみ方ができるのも落語の魅力の一つです。
落語の魅力|江戸落語と関西落語
関西は商人の話が多く、江戸は、武士や吉原(遊郭)絡みの人情味溢れる話が面白いです。
「表通り、7分は武士の道」と言われていた江戸時代は、武士が道の真ん中を歩く時代。そんな時代背景の、武士とその他の階級の人との繋がり。
オッチョコチョイな酒飲みの話。等々、僕は江戸落語の話が温かみがあって好きです。
落語の魅力|個性がある、ライブ感、ミュージシャン感がある
古典落語の場合、○○ならこの落語家の人、××ならこの落語家の人、みたいなセオリーがあるのも落語の面白さ。
例えば、古典落語の「芝浜」は、談志さんの話が一番良いと言われています。
実際に、談志さんも「芝浜」に対するこだわりはすごかったと何かの本で読んだことがあります。
芝浜は代表的な古典落語ですので、色々な人の「芝浜」を聴いたあと、この談志さんの「芝浜」を聴くと「芝浜と言えば談志」と言われる理由も分かります。
落語の楽しさは、噺家さんで「話の強弱」がつくところ。
噺家さんのこだわりで、ある一部分を足したり、ゴッソリと削ぎ落としたりして、同じオチ(サゲ)でも、そこにたどり着くまで全く違った話のようになります。
談志さんは、枕(まくら)とか、話のオチ(サゲ)の結び方とかが独特で、落語があまり馴染みのない人は分かりづらい部分があるかもしれません。
僕ももちろん、芝浜は色々な噺家さんの話を聴いて好きな演目ですが、志ん朝師匠の「芝浜」もいいですが、談志さんの芝浜は聴けば聴くほど素晴らしさが増してきますね。
志ん朝師匠のお父さん、古今亭志ん生さんの芝浜も有名です。
このように、同じ演目でも沢山の噺家さんがそれぞれのこだわりを持って話の構成を作っているのも落語の面白さです。
この噺家さんはこの部分を削り、この部分を足し、、、みたいなところも落語の楽しみ方の一つでもあります。
同じ山の頂上を目指すけど、登山ルートは沢山あるみたいな感覚ですね。
また、枕(まくら)は、オチ(サゲ)の伏線でもありますが、当日のお客さんの温まり具合などを図る意味合いも強いため、同じ噺家さんでも、枕(まくら)の入りが日によって変わってきたりするのも落語の面白さ。
当然ですが、枕(まくら)には時事ネタも含まれています。
古典落語と、時事ネタをうまくつなげている枕(まくら)などを聞くと、本当に感動する位のレベルです。
落語の面白さ|短編コントみたいなモノもある
志ん朝師匠のこの演目、「あくび指南」というのですが、10分程の短いものですが、枕(まくら)からオチ(サゲ)までバッチリと決まっていて、メチャクチャ好きな演目です。
落語の面白さ|売れるよりも、職人としてのプライドを選ぶ。職人のこだわり、プロとしてのこだわり
落語を知らない人でも知っている、「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ」で有名な寿限無。
この余りにも有名な古典落語を、今風に面白く、、みたいな感じで突き詰めていく、みたいな噺家さんの取り組みも面白いです。
談志さんも、このあたりのこと(寿限無なんて聞き飽きたるだろ)は理解されていて、枕(まくら)で「面白くない話だよ」という部分を先に伝えている。
逃げではなく、テクニック。
松ちゃんの「この話、伝わるかな」から入るテクニックみたいなモノですよね。
噺家さんは本当に職人気質で、芸に対するこだわりがあり、色々な話を聴くと本当に面白い。
道を極める、芸を極める。
あえて寿限無に挑戦する。カッコいいですよね。
噺家さんは、最終的にベクトルが「自分の成長」、つまり内側に向かい、お客様に喜んでもらう、というより、自分自身の満足、自分自身の「職人としてのこだわり」等にフォーカスする人が多くいるような気がします。
売れたい、いい暮らししたいのは勿論だが、売れる、売れないは結果論であり、仲間内で認められる「本物」であることに誇りを持つみたいな。
男ならこの気持ち本当に分かる部分だと思います。売れたい(稼ぎたい)けど、それ以上に大事なものがある、みたいな感じですね。
「武士は食わねど高楊枝」を地でいってる様なね。カッコいいです。
古畑任三郎の落語の話も、こんな噺家の気持ちを表しています。
これは、売れていない、古典落語を極めている職人気質の「兄さん」がいて、その才能に嫉妬している、創作落語でチヤホヤされている売れっ子の市川染五郎。
世間的に見れば、圧倒的に市川染五郎が全てのもの手に入れているように見えるポジション。
しかし、この話の中で、市川染五郎は売れない「兄さん」の才能を心から羨み嫉妬しています。
噺家さんのこだわりというか、職人気質な部分というのは非常に強いんじゃないかな?と思います。そういったところも落語の好きなところです。
落語の面白さ|視覚で楽しむ?聴覚で楽しむ?
落語は、ラジオ感覚で聴きながら、頭でオチ(サゲ)を楽しみながら聴くのが僕は大好きです。
枝雀さんは動きとか顔が面白いので、たまに動画でも楽しみますw
漫画と小説の違い
僕は、漫画も好きだし小説も大好きです。
例えば、山崎豊子さんの小説は殆んど読んでるのですが、華麗なる一族はやっぱり自分の頭の中ではキムタクのイメージじゃないんですよね。
自分が大好きな「華麗なる一族」には、キムタクは登場しないんです。
ハリーポッターも全巻小説で読んでいますが、映画は1回も観たことはありません。
僕自身の気分によって、登場人物の顔や雰囲気は変えることができる。
自分自身が「ガチの自分」として、ハリーポッターのステージにいることもできる。
それが小説の面白いところ。
それと同じで、想像しながら話を聴いていくのも落語の面白さの一つ。
例えば、上の方で出てきた「動物園」の演目も、動物園のライオンが、自分の頭の中でリアルに思い浮かんでいるからこそ、オチ(サゲ)の「心配するな、ワシもバイトや」が効いてくるんです。
視覚で、ライオンまで「ぬいぐるみ」と分かっていたら、「心配するな、ワシもバイトや」の効力が薄くなる。
逆に、漫画は、のび太とか、しんちゃんとか、リアルにキャラが決まってしまうので、それはそれで、そこに愛着が出てきます。
葛飾の両さんは、香取慎吾でもないし、ましてやラサール石井でもない。漫画は漫画のキャラクターでのめり込みます。
僕が、漫画で売れているから、小説で売れているからといって、ドラマや映画でやっても触手が動かないのはこういった理由があります。
でも、「今日から俺は」は、ガッツリ漫画で読んでいたから、残念な感じかと思ったけど、子供が観てたので一緒に観たけどメチャ面白かったです(笑)
原作に「愛」がある人がプロデュースとか企画をしたら、外れない内容になるのかもしれませんね。
落語初心者におすすめする独断と偏見、おすすめ落語
落語がはじめての方は、まずは結末を知る、そのあと観る、みたいな感じでもいいかなと思います。
オチ(サゲ)が分かっているのに面白いはずないじゃない!と思うかもしれませんが、全くそんなことないです。
僕も、先にオチ(サゲ)を読んで、面白そうだなと思って聴いたりしても全然OKです。
僕は、志ん朝師匠が一番好きです。
志ん朝師匠の同じ演目の、お父さんの志ん生さんのバージョンも聴きますが、やはり志ん朝師匠が一番好きですね。
古典落語のこの演目ならこの人!みたいなセオリーもあるので、そんなのも聴いていくといいと思います。
ウィキペディアの志ん朝師匠の演目一覧などもあるため、好きな噺家さんのウィキペディアで観て、その中でYouTube検索をするみたいな流れでかなり楽しめます。
ちなみに、志ん朝師匠の得意とする演目は、ウィキペディアに全て載っています。
個人的に好きな話
それぞれの噺家さんの鉄板ネタというのが存在するのも落語の面白さですが、やはり「推しメン」ならず、「推し噺家さん」ってことで、志ん朝師匠の好きな演目を紹介します(笑)
ちゃきちゃきの江戸弁、口上(こうじょう)の上手さ、枕の伏線の引き方、全てにおいて最高!!
立川談志さんが「お金を払って観たいと思う噺家は古今亭志ん朝ただ一人だ」と言った話は有名です。
時そば|古典落語|古今亭志ん朝
噺家さんといえば、扇子を箸に見立てて、ソバを食べる動きを思い描くことが出来ますよね。
古典落語の超定番の「時そば」
沢山の噺家さんが、いろいろなバージョンで話されていますが、やっぱり志ん朝師匠のこの「時そば」が最高に面白いです!
これは、話の内容はすごくシンプルで、AとBの登場人物がいる。Aがちゃきちゃきの江戸っ子気質典型の人。
ある時、蕎麦屋さんでAが大将を褒めまくり、勘定になります。
- A「だんな、ごっそさん、いくらだい?」
- 大将「へい、16文でございやす」
- A「おう、お金払うから手出してくれ、1.2.3.4.5.6.7.8(ひいふうみいよいつむななやあ)・・ところで今、何時だい?」
- 大将「へい、9(ここのつ)で」
- A「10.11.12~~16(文)と。ごっそさん!!」
計画的に途中で時間を聞くことで、1文払ってないので得している。 *暁9つ(午前0時頃)
と、颯爽とお金をごまかして勘定を済ます。
それをみていたBが(落語では、賢い人とドジな人が出てきます。登場人物の緊張と緩和のコントラスがあります。)次の日に真似をしようと、張り切って時間を早め(←伏線、ここがミソ)に蕎麦屋に向かいます。
Aが行った蕎麦屋ではなく、売れてないショボくれた蕎麦屋で、昨日のAの真似を試みますが、なかなか話が合わず、トークも盛り上がらないwそして、いよいよ会計となります。
B「だんな、ごっそさん、いくらだい?」
大将「へい、16文でございやす」
B「おう、お金払うから手出してくれ、1.2.3.4.5.6.7.8(ひいふうみいよいつむななやあ)・・ところで今、何時だい?」
大将「へい、4(よっつ)で」
B「5.6.7~~16・・・・」
張り切って早く行き過ぎた為、コチラは結局余計にお金を払う羽目になったというオチ。 *夜4つ(午後10時頃)
とお金を余計に払ってしまうっていうオチ(サゲ)です。
張り切って時間を早く出かけるというのが伏線になっています(笑)
志ん朝師匠のソバの食べ方、枕(まくら)からの伏線の打ち方、前知識のお知らせなどが秀逸で、音質が悪いですが、このバージョンが一番好きです。
これは、前知識として、江戸っ子の蕎麦に対する思いや、当時の時代背景などが頭に入っていると、話がかなり膨らんで更に面白くなります。
志ん朝師匠は、この話の枕(まくら)で、
- 江戸っ子は、とにかくカッコつけたがり
- ソバの食べ方にこだわりを持っている。少しだけつまみ、小鉢には3分の1くらいしか入れずに、流し込んで食べる
- ツユにタップリとつけるのは江戸っ子として恥ずかしい行為
- テレテレと食べない。早く、クールにソバを食べて、「ごっそさん」とカッコよく店を出ると「今の人誰だい?粋だね~」という風潮が当時はあった
- だから、お腹が減ったからソバ屋に行くのではなく、カッコつけるために蕎麦屋に行っていた
- しかし、心の中では、ツユにタップリとソバをつけてユックリと味わって食べたいと思っているw。遺言には「一回くらいソバにタレをつけて食べたかった」みたいな事を書いているとかいないとか(笑)
みたいな、当時の文化や、江戸っ子の見栄などを、聴き手に前知識として散りばめてくれています。
この蕎麦を食べるスピード感が、枕(まくら)や入り口の部分で想像できるので、チャキチャキの江戸っ子のAが、勘定の時にお金を出す、リズミカルなスピード感が手に取るように分かるのです。
柳田格之進|古典落語|古今亭志ん朝
もう、とにかく、素晴らしいです。ここはちょっと説明いらずに、オチを想像しながら聴いていただければと、、、身分の違うモノ同士の「義理人情」が素晴らしい。
このバージョンが、枕(まくら)が少なく、スッと本編へ入っていきます。「水清ければ魚住まず」など、格言なども話の流れにスッと入り、「なるほどな~」って納得出来る。これも落語の面白さ。
「水清ければ魚住まず=柳田格之進」という伏線があるゆえに、話にピシッと一貫性があり想像しやすくなります。
『通りの7分は武士のもの』・・江戸時代はこう言われていたそうで、大通りの真ん中を武士が闊歩し、その残りの3分を、農民、商人などの武士以外の人たちが歩くみたいな時代。
この演目は、そんな時代の、柳田格之進という武士の話です。
柳田格之進・・曲がったことが大嫌い。忖度などなく、自分が正しいと思う道を貫く人で、それが災いして「浪人」となります。
娘が一人いて、その娘の勧めもあり、近所の碁の教室へと通う事になります。そこで気があった商人と出会い、仲を深めていきます。
碁が好き、お酒も好き、お互い気が合うという事で、武士と商人の垣根を超え、二人は仲良くなっていきます。
ある月見の日、柳田格之進も招待された宴会の席で、商人の家からお金がなくなる。
奉公人は、身なりも浪人中で暮らしも貧しい柳田格之進を疑います。
しかし、主人は「柳田サマほどのお人がその様な事するわけはない」と最初から疑いません。
しかし、奉公人は、主人に内緒で柳田格之進の家へ向かう。
柳田格之進は毅然と対応しますが、自分は身に覚えの無い事とはいえ、浪人中の身、奉行所で事を大きくするのは不利と思い、その無くなったお金を、翌日作ることを奉公人と約束します。
当然、主人は知りません。
もちろん、浪人中の身ですから、そんな大金、明日までに用意出来る訳ありません。
別部屋で聴いていた娘は父上の気持ちを察し「お父様、自決するおつもりですね」と言い、疑いをかけられて死ぬのは武士の恥、私は親子の縁を切り、吉原へいくと伝えます。
当時は武士の娘が吉原などに行くことは家の恥だったんでしょうね。
「もし、お金が出てきて身の潔白が証明出来た暁には、無事武士の意地を貫き、見事その方たちを斬っていただきとうございます」
娘はそう言って吉原へいき、手付金としてお金が出来ます。そういう経緯があり、お金を用意し奉公人へ差し出します。
もちろん、柳田格之進は武士の誇りで、なぜその大金を一日で作ったのか?などは、奉公人には言いません。
ですから奉公人は、そのお金は無くなった(柳田格之進が盗ったお金)モノを返したと理解し、主人にお金を戻します。
「やはり柳田サマでした!!」と・・
その時に初めて経緯を聞いた主人は、烈火の如く怒り、柳田格之進の長屋へいくものの、もう柳田格之進は居ません。「せっかくの碁の友達だったのに、、、」
お互い身分を超えた深い仲の友人を失い、ガックリと肩を落とす主人。・・・・そして三年後のある日・・・・
っていう話です(笑)
あくまでも、奉公人が主人の為を思い、勝手に起こした行動であり、主人は「碁の友」である柳田格之進が、その様な事をするはずはない、と一貫して思っている。
この主人の気持ちを踏まえ、オチを楽しんでみてください。
百川(ももかわ)|古典落語|古今亭志ん朝
今で言う、アンジャッシュとか、陣内とかの「勘違いコント」の原型と言いますか、方言で何を言っているのか分からないことを無理やりに理解し、勘違いが勘違いを産んでいく話です。
古典落語の面白さの一つとして、当時の日本の文化も想像できること。
今のように、情報は当然ありませんが、県すらまたぐ事は滅多になかった時代。その当時、その地域地域の方言というのは、今よりも遥かに理解に苦しみ、差があったと思います。
今の感覚で聞くのではなく、当時の感覚を出来るだけイメージしながら聴くと、オモシロさの中に深みが出てくるのも落語の好きなところです。
高田の馬場|古典落語|古今亭志ん朝
これは本当に名作!
志ん朝師匠の大道商人の「口上」は聴く価値あり!
昔は、大道商人の手にかかれば、石ころでも売ることが出来たと言われていたらしいですが、寅さんの口上等が好きな方は、この話は凄く面白いです。
話の中心は、ガマの油売り。
ガマを売り歩く幼い兄妹と、その仇討ち相手の侍が、たまたま神社の大通りでガマの油を打っているところに現れたところからストーリーが始まります。
そもそも、幼い兄弟でガマの油を売らなければいけないのは、このサムライが、この子たちの母親を殺したからで、この兄弟は親の仇を見つけ、決闘を申し込みます。
- 幼い兄弟なのに、不意打ちではなく、助太刀も必要とせず、武士に対して名前を名乗り正々堂々と勝負を挑む
- 侍も、逃げず決闘を受けるが、神聖なる神社で血を見せてはいけないので、後日待ち合わせ場所を決める
- 幼い兄弟も、その侍の言葉を信じ、その場では刀を収め、後日の決闘の約束をする
話は、ビジネス論みたいなオチ(サゲ)なのですが(笑)、話の途中は全く筋道が掴めないような話です。
昔の武士道や、神社を汚さないようにという、お互いの共通認識など、昔の日本人の素晴らしい生き方がわかるような話。オチ(サゲ)がかなり秀逸。いい意味で裏切られます。
茶金|古典落語|古今亭志ん朝
江戸落語の好きなところは、お金持ちでもすごく気持ち良かったり、素直な心だというところ。
自分と照らし合わせ、いつも反省ばかり(笑)
この古典落語も、お金に困っている主人公が、その町で有名な「骨董品屋さん」と出会い、自分の茶碗をそのお店で査定を出すことから物語が始まります。
実は、その茶碗をお店に持って行くまえ、この骨董屋さんの店主「ちゃ金さん」と呼ばれる方と、お茶屋さんでたまたま一緒になっているのです。
その際、この「ちゃ金さん」が、そのお茶屋さんでマジマジと眺めていた茶碗を隣で見ていたため、この主人公はお茶屋さんに掛け合って、高値でその茶碗の買い取りをお願いします。
そのお茶屋さんも、「ちゃ金さん」が自分のお店の、全く価値のないような茶碗をマジマジと見ていたため、同じような事を目論んでいた(あとでちゃ金屋さんのお店に査定を出す)ため、主人公はかなりのお金を出す必要がありました。
実は、「ちゃ金さん」がその茶碗をマジマジと眺めていた理由は別のところにあったわけですが・・・(笑)
全く価値のない茶碗とわかり、主人公はガッカリ・・・と思いきや、全く値打ちのない茶碗が、あることをキッカケに、あれよあれよと、想像以上の高値になっていきます。
何の価値もない茶碗が、主人公はもちろん、「ちゃ金さん」も全く想像していなかったくらいの高値になっていきます。
「ちゃ金さんのおかげ」の部分がほとんどなのですが、大金を得た後の「ちゃ金さん」の行動が素晴らしい!
更に、元々はお金が欲しくて茶碗を購入した主人公も、お金が欲しいのは当たり前なのですが、「ちゃ金さん」の提案するオファーを断る。2人とも男前すぎて、本当に好きな話です。
番外編|定番の古典落語
噺家さんの個性が光る落語のため、ミュージシャン以上の好き嫌いやこだわりが出てくると思います(笑)
例えば僕は、Take IT Easyなら、イーグルスよりもジャクソンブラウンの方が好きです。
落語は、音楽よりも好き嫌いが分かれるかなと個人的には思っています。
「あみだ池」の演目は、松っちゃんや高っちゃんは枝雀師匠を勧めていますが、僕は米朝さんの「あみだ池」が好きです。
ぼくは米朝さんも大好きで、志ん生さんよりも志ん朝師匠の方が好きですが、「らくだ」という演目は、やっぱり米朝さんよりも志ん生さんの方が面白いかなと。
ここでは紹介していませんが、落語の面白い話は沢山あります。
まだ僕も全然知らない方だと思いますので、今後も楽しみながら落語を聴いていきたいと思います。
落語に興味を持ってもらえると嬉しいです!
落語は、想像力がないと楽しめない娯楽だと思います。
40歳過ぎるまで、落語など聴いたことなかったのですが、今ではYouTubeとかのおかげで、かなりの音源を手に入れることが出来る様になり、大変良い時代になりました。
そもそも、落語単独だけでは、絶対に聴くことはなかったと思います。放送室があったから落語に出会えたかなと。
立川談志さんはテレビでよく見ていたし、多くの噺家さんもテレビで観ていました。
でも、落語には全く興味はありませんでした。
でも、放送室をガッツリと聴き始め、その中でちょくちょく出てくる「落語」と言うワード。松っちゃんの笑いの基本の部分に落語があるということを知り、そこから始まった落語人生。
今では、落語はなくてはならないモノになっています。
話は全く変わりますが、ガキの使いのハガキコーナーは、視聴者のふざけたハガキを即興で2人でボケとツッコミで作り上げていく手法で、メチャクチャ大好きでした。
特に、このでんでん虫とか、よく考えるよなと(笑)
落語は、モノを売る、人と話す、物を書く、全てにプラスの影響を及ぼすのは間違いないかなと個人的には思っています。
とは言え、落語が聴きたいから聴いているだけであり、別にライティングの向上を目指すとか、人にプレゼンする力をつけるために聴く!!みたいな気持ちや意識はコレっぽっちもないです(笑)
純粋に落語が面白くて好きなんです。
でも、落語のように「ゴールから決めていく」みたいな考え方が普段から出来ればいいかなって思います。
落語を聴いて楽しんでいれば、必然的にそのような感覚が身につくんじゃないかな?と松っちゃんの話を聴いて思います。
この記事で、1人でも多くの方が、放送室や落語に興味を持ってくれたら嬉しいなと思います。
僕が放送室が無ければ落語に出会わなかった様に、この記事で落語に興味を持った、放送室に興味を持った!みたいな記事になれば嬉しいです^^