
こんばんは。 数年前、サッカー少年の憧れの元のクリスティアーノロナウドが来日したとき、ポルトガル語で質問をする少年がいました。
当時のニュースでも話題になりましたが、ロナウドの男前っぷりが賞賛されてきました。
当時12歳の少年は、ロナウドに質問をするため、日本語ではなく、たどたどしいポルトガル語を紙に書き質問をし、その結果大人数の大人に笑われたわけです。
ロナウドは一生懸命その少年の言う事を理解して、逆に日本人の新聞記者に対し「何で笑うんだ?」と言ったのです。
僕もその動画は何度も観ました。 そして今日のニュースで、その少年が高校生になり、2021年全国高校サッカー選手権で優勝したということも知りました。

なるべくしてなった結果
僕は凄く感動し、何か我が事の様に感激しました。
でも、よくよく考えたら、この少年が高校サッカー選手権で優勝するのは必然だったのかな?と思います。
冷静に考えたとき、憧れの人間と話す機会があれば、普通は母国語を選択するはずです。
しかも、ポルトガルで記者会見が行われたわけではなく、日本で行われた状況で、一生懸命ポルトガル語などを人に聞きながら自分の言葉で、相手の立場、相手の国の言葉で質問をする。
これって、普通は出来ない事だと思います。凄く偉いなと思います。
仮に僕が12歳で、そのような状況になったとき、相手の国の言葉に合わせて質問を考える、質問を作るなど、これっぽっちも思わないと思います。
そういった相手を思いやる気持ちが当時からある少年の積み重ねが「高校サッカーの優勝」という結果になっただけなのかなと思います。
この歌は、題名にしたい木のことを全く調べていなかった営業の人がいたからこそ出来た曲だそうです。
この少年の様に、事前にしっかりと調べていったり、相手のことを考えている様な人だったら産まれなかった。
自社の社運を賭けた歌を作詞家や作曲家に頼むのですから、普通は「題材となる木」のことは調べるのですが、営業の人は全く調べていなかったそうです。
その結果、作詞家の人から「この木はどんな木ですか?」「どこの木なのですか?」と聞かれて一切答えることが出来なかったため、出だしの歌詞があのようになったそうです。
大人でも出来ないのですから、12歳の少年が、相手の国の言葉で質問をしよう!と思うこと自体が凄いですよね。
とにかく奇跡に近い事件だなと思い、心が熱くなりました。
40の手習い|遅すぎることはない
このツイートは、学生の頃、自分が夢中になっているものに蓋をして、友達に合わせてしまったことを後悔している人のツイートです。
友達から「クスリと笑われた」ことによって、自分の好きな事をカミングアウトできず、年齢が積み重なって、笑われたことなど気にしなければよかったというツイートです。
ロナウドに話した少年とは逆ですが、キッカケとは恐ろしいものです。
人の努力を笑ったり、努力している人を馬鹿にしたり、そういった行動は、された方の人間は深く傷ついていると思います。
僕も、中学生とか高校生のとき、相手の気持ちとかを考えずに馬鹿にしたり、相手を傷付けたりしたことが数え切れないくらいあると思います。反省の日々。
今日が一番若く、今日が一番賢い、と言われます。
僕も、30代の後半までダンベルすら握ったことなかったし、小学生の頃からプロレスやボクシングが大好きで、お遊びでプロレスごっこ、相撲ごっこなどもしてきましたが、格闘技等は一切しませんでした。
理由は、30代の後半から白帯でへっぴり腰で若手の黒帯と練習することに変なプライドを持っていたから恥ずかしかったのです。
長男と次男とともに拳法に入会したのですが、子どもたちを言い訳にして入ることが出来たのは本当によかった。
「子供が習うからついでに、、、」これも立派なきっかけだと思います(笑)。
実際、子供を送りに来て観てるだけで全くしないお父さんばかりでしたので。
好きだけど恥ずかしくて出来なかった、敷居が高くて出来なかった…子供がいなければ、一生ボクシンググローブをはめることもなかったし、バンテージ卷くこともなかったし、マウスピースもすることもなかったと思います。
僕のように子供がきっかけになることもあるし、ロナウドと話した12歳の少年の様なきっかけもあると思います。
逆に、ネガティブなキッカケもあるのが今の社会。 人の目を気にしたり、色々な言い訳でやりたいことをやらないのはもったいないかなと、この2つの記事を見て思いました。
