
例えば、車で運転していて危ない事をされたとしよう。あなたはクラクションを鳴らすかもしれないし、中指を立てるかもしれない。
それはストレスをその時に感じているからだ。
でも、そのストレスも、しばらく経てば収まるだろう。
だが、それが職場の人間、家庭だったらどうだろう?アナタが中指を立てたい様な常にストレスを与える人間が周りにいる状態。
そのストレスはズッと続き、職場の嫌な人間の事を家に持って帰るかもしれない。そして家でもそのストレスの元について考える。
すると、そのいつもイライラしているアナタの態度はやがて「信念」と呼ばれるモノに変わり、その信念が性格を作っていく。
byジョーディスペンザ
自分にストレスを与える人間を極力排除する。
これって、SNSでもすごく大事なことだと思う。
自分の嫌いな人間の自慢話、プライベート、こういったものって、正直言うとすごく目ざわりだったりする。
そのような投稿に対し、あえて自分からアプローチする、或いはストレスを与えるような人間の投稿が見えるようにする、これって、自らストレスをかけていっているようなもの。
僕も、いつもイイねしてくれる人以外の投稿はミュートにしてかなりストレスがなくなった。
もしかしたら嫌われるかもしれないとか、リアルの付き合いに影響があるかもしれないとか、そういった不安要素も無きにしもあらずだけど、逆にSNSのつき合いでガタガタ言うような人間と、リアルで付き合う必要はない、と言う根本的な人間関係になると思う。
自分にストレスを与える環境の存在を消す、自分にないものとする
例えば、量子力学的な考え、そういうふうにこの世の中を考えていくと、僕も含め、全てのものは物体として捉えるコトになる。
例えば、量子力学と同列で考えても良いような唯識論というものがある。
「唯識とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、8種類の識(八識)によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、8種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら8種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。」
このような考え方等を理解できるようになってくると、例えば今執着しているモノ、今こだわっているものとそういったモノ、それ自体は自分自身が決めている意識という考えになれる。
例えば、今の僕の奥さん、子供、親友や仲の良い友達、仲間。
それも、元をたどっていけば、物理的な距離だけが絡んでいるだけであり、例えば、僕自身が東北の生まれであれば、今の奥さんと付き合うこともなかったかもしれない。
世の中に偶然は無い、と考えれば、もしかしたら奥さんと出張や旅行で出会ったりするのかもしれないけど(笑)
そういった可能性を排除した場合、今大事な奥さんも僕の中では存在していない、赤の他人と全く同じ世界線になってしまうという事。
つまり、そうなってくると、子供も出会ってない。
結局は、人間関係というのは、物理的な距離がキッカケにすぎない、みたいな感覚になれれば、自分にストレスを与える人間を「存在を消し、赤の他人」にすることも自分次第でできるということ。
つまり、「SNSで人の投稿を見てストレスを感じたり、自分の今の生活と比べて凹んでみたり、イイねを押したくないのに、忖度でイイねを押したり」そんなヤリたくないネット上のつき合いを、意識で縛っているモノ自体が「物理的な距離感」で産まれたモノって考えれれば、そこに執着する必要なんて全然ないということに気づけると思う。
だって、僕も親友がいるけど、その親友が佐賀県だったら、年齢が一つ違かったら、そこらへんの赤の他人と同じ存在になっている訳で。
そうなってくると、自分の神経を削ってしまうような人間関係なんて、実は大したことないと気づくと思う。
自分を大事にしていればなおさら気づけると思う。
何がムカつくかわからないけどムカツク、何が嫌いというわけじゃないけど嫌い。こんな事普通にあると思うけど、そういったものは、自分で避ければ良いだけ。
常にそれに執着してしまっているから、自分にストレスを与える行動ばかり取ってしまう。
「関係性が…」と悩んでいることでも、実は物理的な距離感だけの話だったんだ…くらいに考えれば、最後は自分自身の心こそが大事なことだと気づくはず。
「あいつヤバいやつやね」みたいな人間とは、リアルでは近づかないのに、ネットでは切り離せないなんて、よくよく考えたらおかしな話。
イイねしなかったから何なの?フォロー外したから何なの?みたいなことじゃないのかな。
例えば、実際に会った時に文句言われるかもしれないけど、別にヘラヘラしてればいいし。あまりしつこかったら論破するだけ(笑)
前にも言ったと思うけど、僕も向こうの方から繋がって来たにも関わらず、文章が長いだの、投稿が多いだの言われたことがある。
あまりにもムカツイたので、フォローをお互いに外したんだけど、最近になってまたフォローされて。それでも僕はフォローしてない。
見たいなら勝手に見ればって感じ。
でも、その人の人間性を否定しているわけではなく、当然実際に会ったら、礼節をわきまえてちゃんと接するつもり。
とは言え、その人には皆んなのいる前(その人のコミュニティで、僕は全然その人以外は知らない)で「あんた、投稿が多すぎてアンタの投稿ばっかりになってるばい」って言われたんだけどね(笑)
その時も「ホントですか、、すみません(笑)気をつけま~す」ってその場を取り繕ったけど。
でも、僕はその時のことを忘れていないので、またSNSで繋がる気も全くない。
環境的、付き合い的に、今後リアルに出会うことも普通に考えられるけど、その時にSNSの事で言われたら、あまりしつこかったら、自己防衛のためにちゃんと大人の対応で理由を言うつもり。
こんな感じで、SNSは、たかがSNSとはいえ、重要度指数が高い人たちが多い為、今までの関係性とか、色々なシガラミや人間関係も絡んでくるので簡単な問題じゃないかもしれないけど、自分の人生を考えた場合、ストレスから信念になり、それが性格に変わるような人間に近づくべきではないとわかるはず。
そうなってきたときに、SNS上で存在を消す作業なんて、自分の人生を豊かにするために普通にできると思う。
僕は、自分自身のために情報発信をやっているので、正直他人の評価はどうでもよかったりする。
承認欲求というよりも、共感してくれる人が楽しみにしてくれたり、コイツ嫌いという人間を距離を置いたり、そう言う感じで使っていると言ってもいいかも。
だから、今まではフォローや友達になっている人間の投稿が全て見えるようになっていたけど、自分軸に変えてから、自分にアクションを起こさないような「SNSを介して友達になった前の友達」みたいな人たちはフォローを外したりしている。
そして、前から知っている人でも、お互いにアクションを起こさないような繋がりの人たちに対しては、その人の投稿が一切見えないように設定をしている。
結局、人間は自分勝手なもの。
ただの「イイね」のアクションでさえも、自分ばかり押していて、相手からノーリアクションされると、徐々にムカムカしてしまう(笑)
人間が出来ていないから仕方がない(笑)正直な気持ち。
なんで自分だけ…みたいな変な感情になる。
それこそ、ただの「イイね」でストレスや気持ちの浮き沈みをコントロールされるなんて馬鹿らしい。
そういう人間関係を、なんでSNSでは騒がしなくてはいけないのか?みたいな事を考えるようになってきた。
だから、SNSで再度情報発信を始めたときに、自分がストレスを感じる人間の存在を消した。
おかげで、繋がっている人でも、自分の中では存在していない事と同じになっているので、その人のことで思考をしたり、ストレスを感じたり、イライラしたりすることがなくなった。
僕は自分の為にSNSを使っているので、人に自分の感情を左右される状態は作りたくない。
僕の情報発信を、いいねを押さずにみてもらっている人も多いと思うけど、それで何かを感じてもらったり、この人の考えに共感するな、と思ってもらえたり、或いはコイツ嫌いと思われたり、色々な受け止められ方があると思う。
それと同じで、僕が相手に対してイラっと来る、不快になる、みたいな人たちと距離を置く、例えそれがSNSであっても同じ。
人間の脳は、リアルなのか仮想なのか判断できないので、街角で方がぶつかってイラッとする感情も、SNSで名前を観たり、投稿観たり、イイねの関係性でイラって来たりする感情も同じと考える。
自分がカワイイので、自分が大事なので、自分を粗末にしたくないので、自分を粗末にする人間、自分をそれほど必要としていない、自分を嫌っている人間と付き合う必要はない。
相手の存在を消すのも、ストレスマネジメントの大事な考え方だと思う。