両親のおかげで『医者知らず』の生活を送れてて、今まで内蔵系の胃痛とかの薬、ケミカル系の薬をほぼ飲んだ事がない。市販薬チョロっとくらい。数えれるレベル笑。
でも、1週間前くらいから、片側の後頭部に『耐えれる位の頭痛』が1日で数回起こる様になった。
ボクの場合、ウェイトトレーニングも高頻度でやってる為、外科的な物理的負荷の痛みも考えられるけど、脳という事で、奥さんの勧めもありCT、その後にMRIを撮った。
結果は、血液検査も全て異常なし、脳の脳卒中の原因(脳梗塞、脳出血、クモ膜下)になる予兆も全て無し、血管も脳もキレイって事が分かった。
毎年、がん検診と血液検査は受けてたけど、MRIは初めてで凄く不安だったけど、もう結果聞いてめちゃ嬉しい❗️
首の骨もCTでも異常なく、重力に負けない筋肉があるとの事で、偏頭痛は、筋肉のストレッチ不足だという事が分かった。
改めて『健康』でいる事のありがたみを感じた。もう、マジで『生きてるだけで丸儲け』で感謝。
『健康』って軽視しがちだけど、電気、ガス、水道とかのインフラと同じで『無いと1日すら生きれない』し『失いそうな時にしかありがたみが分からない』モノ。
前、前回の『縄跳びが切れた』時の投稿で、岩屋の101回目の話をしたけど、『健康が失われるかもしれない事をして、自ら101回目に向けてカウントダウンしてる様な日常生活』をしててはやっぱダメだなと。
言葉では『健康って大事だよね』とか言ってても、暴飲暴食、酒やタバコ、夜更かし、運動ゼロみたいな20代みたいな事してるのって、心の底ではそう思ってないのと同じ。
自傷行為と言っても良いレベル。
例えば、ボクがガンになったり大病したりすると、皆んなは『クッチン、あんだけカラダ鍛えてた【クセに】』とか『クッチン、酒もタバコもしてない【クセに】』って思われるかもしれない。
極論だけど『ざま〜』的な笑笑。
病気って人をネガティブにして、結果だけで見られがちだけど、『健康を意識してる【クセに】』ってのは、全く【クセに】でもなんでも無い。
ネガティブな101回目が来ない様に気を付けて生活や意識をしてた結果として、大病や事故になったとしても、それは因果関係も何も無いし、『じゃあ、運動もせず、酒タバコ、悪食、やりまくる方が人生勝ちじゃん』とイコールでもなんでもない。
ボクも、今回は異常無かったけど、来年、再来年は分からない。
でも、再来年に、仮に大病や事故になり、今の自分じゃない身体になっても、ボクと真逆の生活してる人がピンピンしてて、ボクは病気になるとしても、今のボクのライフスタイルの様な『ネガティブな101回目』が来ない様な食生活や運動習慣をしていた事に全く後悔は無い。
例えば、ボクがコレから先、脳梗塞とか、事故とかになって、今の『健康』が奪われたとしても『あー、くそ、こんな事なら、タバコもやめんで酒も毎日かっくらって、食事も好きなモン食って、運動もせんで自堕落な生活してた方が良かった』なんてこれっぽっちも思わない自信がある。
病気や事故の『結果』は変えられない。
例えば、ペットボトルの水が半分、コレも不変。
でも『あと半分しか無い』と思うか『半分もある』と思うか、コレは意識で変えられる。
日々、病気にならないように努力してたけど、大病になった。
でも、その結果(病気になったとか)は、日々の頑張って『健康を維持する』為の意識や努力を否定する材料にはならないと思う。
心の底から、本音で、健康を望んで、自分を愛してれば、『病気もなく、運良くラッキーで人生終わるのか?』『途中でツケが回ってきて、健康が奪われるのか?』の生活のどちらを取るか?なんて明白。
先生に予防策を聞いたけど、やっぱり『生活習慣』しかなく、運動、食事、睡眠、みたいな話。
今の自分を愛さず、労わらなく、精神的、肉体的に傷めつけ『10年後、どうなっても良いや』なんてうそぶくなんてボクには出来ない。
『極力注射を打たず』『極力クスリを飲まず』『できるだけ長生き』がモットーなので、コレからもカラダを大事にしていきたい、って再認識した。
みんなも、余計な世話だけも、健康についてもっとフォーカスして欲しい。
『今抱えてる、どうしようも出来ないと思える様な悩み』でも『健康を失う事』と比べたら、ほんと大した事じゃない。マジで健康さえあれば、生きてるだけで丸儲け。
その健康を自ら放棄する様な生活ってやるべきじゃないと思う。
追記|アナウンサーの投稿(10月21日)
昨日たまたまニュースでみた、めざましテレビに出てる渡邊渚さんっていう女性、20代?30代?テレビ観ないので初めて存在を知ったんだけど。
6月にコロナきっかけで体調を崩し、ずっと入院してたらしく、昨日、ゲッソリした顔でインスタを久しぶりに投稿してたのがニュースになってた。
多分、何かの病気なんだとは思うけど、もう、なんか、痛々しくて。つらいだろうなと。
先週、脳の検査を受けて、異常なかったときに感じた健康のアリガタミ。健康は「インフラ」、あって当たり前。無くては1日も仕事も遊びも出来ない。
再度、健康について考えさせられた。
彼女も書いてたけど、健康を失った時にしか分からないコト。
いや、まじでココなんだよね。健康って、自分を大事にしてるかどうか、で意識が違うというか。
立ち止まらず、快楽にまかせて毎日適当にやってると、まじで失った時に「大事にしてれば良かった」って思うと思う。(この人が適当にしてたって意味じゃなく。)
当たり前に出来てたコトが、突然出来なくなる。
この4ヶ月で私はいろんなものを失いました。
食べられなくなった。
うまく歩けなくなった。
うまく指が動かなくなった。
大切にしていた仕事もなくなった。
目標もなくなった。
できなくなったことを数えるとキリがないくらい。自分の手のひらから大事なものがどんどんこぼれ落ちていきました。
何もできなくなっていく自分が怖くて、悔しくて、悲しくて泣いてばかり。
今まで何のために頑張ってきたのだろう、いっそこのまま生きることを投げ出したいとも思いました。
そして、病気で一番つらいのが、何か悪いことでもしたかの様に被害妄想的なメンタルの崩壊。
そして、私は悪いことをしたから病気になったのではないから、今の何もできなくなった状態を罰のように感じるのは、もうやめたい。
私の人生こんなことに乗っ取られたくない!と思えるまで4ヶ月かかりました。
悪いコトなんて無いのに、やっぱ、病魔に蝕まれると、そう感じてしまうのはみんなだと思う。
人は、自分の裁量の中で一日を生き、暴飲暴食を繰り返しているかもしれないし、別にそんな人が結果的に成人病になろうとも、僕の人生には一切関係のないこと。
でも、「袖触れ合うも多少の縁」なので、この記事を読んでくれた方は、今一度自分の健康について見つめ直して欲しい。
健康は当たり前でも何でもなく、絶対に何かしらの負荷を体にかけているはず。
一日でも健康で長く生きたい。みんなもその気持ちは同じだと思う。