お前は今、私は恰好つけていません、と言った。
つまり、私から言わせれば、お前は「カッコつけていないことを恰好つけている」ということだ。
結局お前は「格好付けている」わけだ。
これは、ソクラテスか誰かの哲学者のお説教の一部分。
なんでこんなことを言いたいかというと、敬老の日に対する大人たちの意識調査が超絶にイタすぎて…
はじめに「敬老の日に『おめでとう』と言われるとどういう気持ちになるか」について調べた。
孫の有無別に回答をみると「うれしい」と回答したのは、孫がいる人では全体の16.1%、いない人では全体の6.5%と、孫の有無によって約10ポイントの差があった。
「うれしくない」が「うれしい」を上回る さらに孫のいる人でも「うれしくない」(43.2%)が「うれしい」(16.1%)を上回る結果となった。
理由としては「自分は若いつもりでいるのでショック」(70代以上の女性)などがあがっている。
同社は「いくつになっても”老人扱い”をされたくないというシニアの本音がうかがえる」とコメントしている。
その他にも、メチャクチャかまってちゃんな大人が多すぎて痛々しささえ感じます。
- 息子(嫁)の配偶者から「母の日のプレゼント」がない
- 嫁が母の日にプレゼントを贈らない
- 敬老の日に子供から何も言葉やプレゼントもない
- 誕生日に誰も祝ってくれない
こういったコトを真剣に悩んでいる大人がいるというのはマジでビックリ。
僕自身、子供から父の日に声をかけてもらったこともないし、そんなことも必要ないし、何か誕生日すらこそばい感じがしてどうせなら放置して欲しいという感覚なので、祝ってもらえないから悲しいとか憎いとか、そういう感情を持つ人間というのが全く理解できない。
例えば、敬老の日に「ありがとう」と言われることに対して、自分は若いのでそんなこと言われる筋合いがない、みたいな事を言う大人って、どれだけ自分の年齢にコンプレックスを持っているんだよ、という話に僕は聞こえる。
コレが冒頭の哲学者の言葉であって、普通に素直に「ありがとう」とだけ言えばいいのに、自分は老人ではないとか、老人扱いするなとか、マジで迷惑な大人意外何者でもない。
どんだけかまってちゃんなんだよって思います。
例えば、僕は運動習慣もあって、おそらく何かの病にならない限りは、普通に70歳とか80歳とかでも若くと動ける方だと思う。
でも、見た目はやっぱり若い人からみたら老人に見えるわけで、それはそれで受け止めているし、自分の年齢を素直に受け止めているし、相手からどの様に観られているだろうか?みたいな客観性や俯瞰力はある。
だから例えば、バスとか電車とかで「俺は全然平気だし、障害者の方や、足腰の弱い老人の方がいれば、このシートに座れるし」と思って立っていたとして、自分を外見的に見た若い親切な人が「こちらの席どうぞ」と言ってくれて席を譲ってくれるのであれば「ありがとうございます」と素直に受け止めるか「ありがとうございます、大丈夫ですよ、元気なんで(笑)仕事で疲れているのはアナタの方だから、座っててくださいよ!」みたいに言うと思う。
「俺を老人扱いするな」「余計な事するな」とかムッとするって、どんだけ性根がひねくれてるんだよって話です(笑)
例えば、自分の子供たちが結婚したとして、僕の誕生日、嫁さんの誕生日、父の日や母の日、敬老の日は還暦の日、そんなのを祝ってくれなくても、別に心の底から「なにも思わない」です。
むしろ「来年から気持ちだけでいいから、何もしなくていいよ」と伝えると思う。
夫婦でそれぞれ何かご飯を食べに行ったりするだけでいいし、子供に負担をかけたり、全く血が繋がっていない子供の相手の人たちにまで迷惑をかけたくない。
母の日を嫁から祝ってもらえないとか、そんなコトをいちいち考える大人ってマジでバカだと思う。
僕は、完全な自責思考で、全ての責任や、全ての結果は、全部自分でコントロールしていると思っている。
協調性や場の空気を人一倍感じる能力もあると思うし、自分のことを客観視できるし、自分のことを俯瞰で見ることもできる。
だから、わがままを言って我を通すという意味ではなく、自分のケツは自分で拭くという自責で行動しているので、他責思考が全くない。
だから、他人が自分にどうしようとか、他人からどの様にされたからムカツクとか、そういうのを瞬間的にはあるけど、結果的には全く気にしていない。
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立しても良いと腹を決めて自分を貫いていけば、本当の意味で皆に喜ばれる人間になれる。
by岡本太郎
誕生日を祝ってもらえないとか、飲み会に自分だけ呼ばれないとか、そういうのがメチャクチャ気になったりして、自分の言う事も言えずにヘラヘラする位であれば、そんな友情やコミュニティはマジで必要なし。
本来、テストステロン(男性ホルモン)が高い場合、オスは「孤高を好む、孤独を楽しむ」というテストステロン独特の特徴があるので、1人の時間を大事にしたり、1人の時間を楽しんだりするもの。
40代や50代で色々つるんだり、関係性をアピールするのって、加齢によってテストステロン(男性ホルモン)が下がっているという証拠なのかもしれない。
完全な自責思考で行動していれば、無理してつるむこともしないし、むしろ、1人になれない時間が増えれば増えるほど、僕的にはストレスになるかなと個人的には思う。
こんな気持ちで行動して、今の友達が、仮に僕の葬式に来てくれないとしても、僕は死んでいるので、その事実は認識していないわけで(笑)だから、そんな自分のお葬式とかのことを考えずに、自分の哲学や、倫理感や道徳心で、正しいと思うことを皆に伝えていけばいいかなと腹をくくっている感じ。
メチャクチャ仲のいい人間でも、自分の哲学、倫理感や道徳と違う場合は「はいさようなら」と言う位のイメージ。
でも、0か100とかの話ではなく、人の繋がりは大事だし、仲間は大事だし、できることなら自分の仲間やコミュニティはメチャクチャ大事にしたいと思っているのは事実。
利己的、自己中心的ではないけど、完全な自責思考で生きている。