
アパレル業界にどっぷりと浸かっていた20代最初の頃、そこの先輩たちからいつも言われていたことがある。
「洋服屋は、気づかないうちに御輿を担がれ、気づいたら担ぎ手がいない・・みたいな事はよくある。だから、自分の芯を持て」と。
これって、49歳になった今、凄く大事なことだなと、事あるごとにこの言葉に感謝することが多い。
この前のライジンの試合。
凄くイイ試合でヒリヒリした15分だった。でも、敗者がフォーカスされ、勝者がフォーカスされないのって今の格闘技の環境ってひどいなと思う。
YouTubeのメジャーと、格闘技のメジャーは全く別モンだと思うし、やっぱり勝者にフォーカスされる様な環境であって欲しいなと、格闘技ファンからするといつも思っている。
負け!
— 朝倉未来 Mikuru Asakura (@MikuruAsakura) November 21, 2020
斎藤選手強かった
久々に負けて勝った時より嬉しい変な感じ
強くなってすぐにやり返す🔥
『むしろ負けてよかった』『勝った時より嬉しい』とか、仮にもプロでやってる人は絶対に思わないはず。そんな事ないでしょ。勝ちたいから痛い思いとかつらい減量してるわけで。
素直に勝者をリスペクトして、相手が強かったって言って、それで終われば格が上がるのに、なんで余計なコト言うんだろ。好きな選手だけに残念感が強い。
年末にリマッチとか、ハッキリ言ってそれが実現されたら全く意味が分からない。
仮に、百歩譲って、本心で「勝った時より嬉しい」って思ってたとしても、それを言っちゃおしめーよーって話だと個人的には思う。
心に秘めとけよってw
イエスマンとか味方を前にして、そうっすね、そうっすねって人に囲まれて動画を撮り、ナゾの上から目線の解説で全国に配信して。
いや、周りの人間で止めたりアドバイスとかする人居ないのかな。
SNSでもよくいるパターンの人たち
僕自身、備忘録とかも兼ねて、自分のやってる事とか思ってる事とか発信するタイプだけど、ホント余計な事言うのってかなりのマイナス。言わないなら言わない。語らないなら語らないって貫けばいいのに。
SNSによくいるパターンとして、「語らないことを語っている」みたいな人。
「インターネットは子供によくない!」って事をインターネットを使って伝えている人。何か、そういうのを見ているとパラドクス、つまり逆説、本末転倒みたいな感じになって凄く違和感がある。
『オレは語らない』って事を語ってるのって、哲学の問答の
『お前は自分はカッコつけてないと言った。つまり、カッコつけてない事をカッコつけているわけだから、結局カッコつけてるコトになる』
ってのと同じコトだと思うんだけどな。
もうさ、それならいっそ『語ります』『カッコつけてます』って言った方がよっぽど男らしいしイサギ良いし、カッコつけてない、語らないなら語らないで貫くべきだし、もうそれを『オレはカッコつけてません』『オレは語りません』って語ったらダメでしょって話。
誰に言い訳してるの?って話で。
言わないでコッソリ行動する人もいると思うし、自分みたいに、言う事で、そういう自分であるってプレッシャーを感じてモチベーション上がる人もいると思うし。
後者は、心理学的に言えば、認知的不協和理論。つまり、「そうである自分」を作るってこと。
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。 有名な例として、イソップ物語のキツネとすっぱい葡萄の逸話が知られる。
つまり、僕の視点で言えば、「なりたい自分」として振る舞うことで自分の行動が高まるわけ。
逆に言えば、何かを成し遂げてから「オレやりました」の事後報告って、控えめとかのプラスとして感じるより「失敗したら恥ずかしいから言わなかっただけでしょ」とも思うわけで。
だから、英語学習も全然できていない今でも発言しているわけで、英語がペラペラになって「やりました!」って、結局、途中でさぼったり、話せなかったりしたときの言い訳とか恥ずかしさとか怖さとかにビビって言わないとも取れる。
それは人の価値観だと思うし、自分が正しいとかもこれっぽっちも思ってない。
でも、少なくとも自分は「頑張ってる自分」が好きだから。堂々とやっていることは伝えていきたいと思っている。
それはそれで個性で自由だと思うけど、「俺は語らない」とか「語っているやつはダメだ」とか「男は黙って行動するのが一番」とか言っちゃってる時点で、もうそれって言っていることとやっていることが違うと思ってしまう。
僕は、自分でコーチングの勉強とか、脳の勉強とかもしているので、「言葉が自分を作る」事が自分の中で理解できているので、頑張っていることとか、日々のことなども情報発信しているけど。
それはそれぞれの考え方だし。
どれが正しいという種類のものでもないと思うけど。
イエスマンや盲信的な支持者に囲まれるのって、大なり小なりよくあること。
お金、知名度、その他諸々で、誰も物申す状態になれない、させない。今話題の元Google社員だったあの人とか。
あと、オレくらいの年齢だと自然に実力もないのにイエスマンに囲まれてしまう、、、みたいなケースも多くなるけど、やっぱ、そう言う空気感出しちゃダメだなとおもう。
#アンチじゃないよむしろファン
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