『マンディンゴ』『グリーンブック』『ゲットアウト』で感じる、心理学的な視点でみた黒人差別の根幹の部分

この前みた映画『マンディンゴ』


1840年。南北戦争の20年前の黒人差別についての話。

https://youtu.be/2GSe2Qu1t_A?si=D8QKRZlwN-Ruhzhz

 
『胸くそ』なのかと思って、ズッと観るのをためらってたのですが、人間の本質を知る良い映画でした。

マンディンゴというのは、マンディンカ族という、西アフリカの民族の事を指す言葉で、奴隷時代は差別的に使われてた言葉だそうです。

 
『マンディンゴ』は、純血の黒人という事で、白人たちは、イヌの血統書みたいな物を付け、売買時に提示する事で高値で売れる。

 
シーンで、3人で2,500ドルで売買されるシーンがありますが、調べたら当時のレートで約4,000万円近く。

 
当時のアメリカ人、白人にとって、黒人は家畜と同じ扱い。

 
黒人奴隷が風邪を引くと獣医が診断します。

 
黒人が取引されてた理由として『丈夫で強い』『女性は性処理としても使える』『男性は種馬として使える』など。

 
倫理観も何もありません。

 
リッチな白人の親子と医者(獣医)の会話で、ある時、黒人奴隷の女性が風邪をひいて倒れてる。
 
医者『サカリがついてるんだ。お前(息子に)が相手してあげればすぐ治る』

 
父『あの女はまだ若いから処女だ。しっかりと抱いてやれ。キスはするなよ』

 
息子『あの女は体臭がキツいんだ』

 
父『●●(家畜に使う何かの薬剤、忘れた)を風呂にいれて数時間付けとけばニオイは取れる』

 
獣医『しみるが問題ないさ。無理にでもつけとけばいい』

 
みたいなヤバい奴ら。

 
黒人女性は、子供を20〜40人産ませられる。

 
黒人男性もマンディンカであればあるほど、交配をさせられて、子供を40人とか。

 
当然、その産まれた子供は、また奴隷として流通されていく、って構図です。

 
女性も、子供が奴隷として売られるのを知った上で、どんどん子供を産ませる。

 
ボクが思う黒人差別と言うとは、白人の嫉妬から来てる側面も多くあると思ってます。

 
心理学に『シロクマを思い出すな!』っていう言葉があります。

 
これは、潜在意識の使い方の例で、否定が出来ないので、思い出すな!と言われても『シロクマ🐻‍❄️』が頭に浮かぶ人間の脳の特徴。

 
つまり、筋骨隆々で背も高く、ウサインボルトの様な黒人は、オスとして憧れでもある。

 
『こんなに凄い黒人を支配している』って事実が、自分のアイデンティティやステータスになるわけです。

 
本当は、黒人は家畜で丈夫、って思ってる事自体が、自分達のコンプレックスの裏返しなのかなと。

 
これって、ギャング達がピットブルにスタッズの首輪つけてペットにしたり、アラブのおぼっちゃま達が、鷹🦅、虎、ライオン、チーターなんかをペットにしてSNSに投稿してる心理となんら変わりない、人間の本質的な部分かなと。

 
『グリーンブック』という、コレも黒人差別が酷い時代の南部でツアーをする黒人ピアニスト(お金持ち)と、そのドライバーのイタリア系白人の話があるんですけど、そのイタリア人が、雇われ主の黒人に『フライドチキンでも食うかい?黒人だからプライドチキンは好きだろ?』と尋ねます。

 
そしたら、その黒人ピアニストは烈火の如く怒り『黒人だからと言ってフライドチキンが好きなわけではない!』って言います。

 
そしたら、そのイタリア系の白人は
 
『そんなに怒らなくてもいいじゃないか。

 
pizzaを毎日食べてるって(イタリア系)言われても、俺はなんとも思わないけどね。』

 
って言います。

ボク達日本人も、アメリカ人やカナダ人に『にっぽん、はらきり、ふじやま、げいしゃ!すし!!』って言われてもなんとも思わないし、むしろ会話のフックとしてありがたいと思う人が殆どだと思います。

結局、白人たちは、心の底、潜在的な部分での黒人たちへの憧れ、みたいなのがあるのかなと。

『下にみる』『オスとして動物的にみて優れている黒人男性を奴隷にする自分』みたいなので、自分のアイデンティティを保ってるという気持ちと言いますか。

ほんと、それは、さっきも書いたけど、今のSNSで虎とかライオンとかをペットとして従えてたりとか、ピットブルを両脇に連れていたり、みたいなのと同じ感覚。

人間の『自己顕示欲』の根幹的な欲求の裏返しなのかもしれないですよね。

自分があの時代の金持ちの白人ならあの様に同じ人間に対して振る舞えるのか?

仮に、あの時代にボクがいて、今の家族構成で、ナナを飼うみたいな状況になったとき、黒人をあの様に扱う様になるのか?

って考えた時、NOなのか、考えてみました。建前で言えばNOと言える自分でありたい。

でも、お金も莫大にあり、犬やペットを飼う感覚で黒人が取引されていて、なおかつ、いろんな雑用もしてくれる。

ボクが忌み嫌うペット産業の様に、同じ人間を交配させて、その黒人の子供を売ってお金を更に稼ぐ。

純血のマンディンゴ人は高くうれるからといって、人間に20人とか30人とか産ませたり、種馬のごとく40人以上の女性に子供を産ませたりする。

そんな倫理や道徳の中で、今、こうやって書いてるボクを保てるのか?

倫理観や道徳は、後付けの教育で培われるモノです。

字の読み書きも出来ない様な、生まれてきて小さい時から働かされてる中国人の戸籍にも登録されてない様な人たちは、犯罪で捕まった時、ウンコやオシッコをシャワーの時に排水溝でするそうです。

みんなが見ている、とか、お風呂場でオシッコやウンコはしない、ってのは後付けの人間の道徳や倫理観で、動物的には『水の近くでする』のが本能なので。

だから、今の時代の僕なら、ツバを吐きたくなる様な行為でも、当時の金持ちの白人階級で産まれてたら、それが当たり前になるのかなと、そう思うと人間は怖いですよね。

黒人の小さな、自分と同じくらいの年齢の子供を買ってきて、家族団欒でご飯食べてる時に、その黒人の子供たちにデッカいうちわであおがせてて談笑してるんですよ。

自分も含め、奥さんも子供も。

狂気の沙汰です。

そして、黒人の若い女の子とボクが寝る事を、ボクの奥さんは容認してる。

自分の息子にもそれを勧める。

そんな自分でありたくない、は当然ですけど、あの時代に、選ばれし者であれば、その様な行為をするのか?

色々と考えてしまいました。

マンディンゴは、古典ですが、グロい胸糞、という感じでも無かったので、今の『足るを知る』みたいなありがたみを感じるにはオススメですね。

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