良い話(実話)を読んだので備忘録とシェア。
ある若いカップル。目の見えない「視覚障がい者」の彼氏の家に遊びに行った彼女。
イマイチ2人の距離が縮まっていない時、彼女が彼の家に遊びに行った際、色々と物にぶつかって怪我をする。
視覚障がい者の人たちは、同じ空間に「視覚健常者」が居ない場合、通常は家の電気を付けないそうです。
理由は、視覚障がい者の人たちは目が見えないので、そもそも「暗くて電気が必要」という概念は無く、更に、電気を付けると、自分自身が「電気が付いている事」を視覚で判断できない為、電気を付けっぱなしで気付かないケースがあり、結果的に電気代が高くなるからだそうです。
その日の夕方から夜にかけて彼氏の家に行った時、電気を付けない部屋で色々と怪我をして、思わず出た言葉「電気を付けてよ!あなたみたいに真っ暗でも何でも見えるってわけじゃないのよ!」
言った瞬間に「失言した!」と思った彼女。でも、時すでに遅し。
勿論ですが、視覚障害を持つ彼と付き合っていた彼女は、「見る」という言葉を使う際には細心の注意を払っていたそうです。
そういえば、3年B組金八先生part1のシーンでも、きんぱっつぁんが生徒に「ほら、雪が降ってるから滑るんじゃないぞ!・・・あっ!!」「廊下を走るんじゃない!滑って転ぶぞ!・・・あっ!!」「こらこら、そんな持ち方だと落とすぞ!・・・あっ!!」とか、下宿先のおばちゃんが「滑る、落ちる、転ぶ」を連発するので、きんぱっつぁんが「もう、おばさぁぁ~~ん」ってツッコみ怒る、みたいなシーンが良くありましたが笑、まさにそんな感じ(試験で不合格を連想させる言葉の【スベる、落ちる、転ぶ】を受験生の前では使わないというのは、日本の受験生を持つ親や教師の間では伝統的なモノ)
話を戻すと、その彼女が放った一言。一瞬ヤバい、、と思った彼女。
でも、彼氏は大笑いしながら「確かに!!」と言って電気を付けてくれたそう。
この1件以来、2人は冗談を言える関係になり、更に深く信頼関係が出来たそうです。
そして、彼女はこの1件を、次のような感想でまとめています。
この1件で分かりました。 彼の家で「私が正常に作動する」ためには「照明という補助器具」が必要なんです。
それを彼と話して笑いました。 彼の家では、私は照明が無いと、彼の様に普通の生活が出来ないんです。
そんな風に考えた時「障がい者」って一体誰の事なんでしょうね。。。
ブラックジョーク的な話ですけど、こういう発想が出来る彼女って凄いな、偉いなと。
視点を変えれば、暗闇で【電気なんて必要ない彼氏】は健常で凄く、【電気が無いと、あちこち家でブツけて怪我をする彼女】が障がい者であり、彼女が彼氏と同じ様に機能する為には「電気」という補助器具が必要。
何度も書いてるけど、僕の弟は肢体不自由児です。
僕の好きな忌野清志郎のバンド、タイマーズの「障害者と健常者」の歌詞も、なんかコレと同じ様な事を伝えたいメッセージがあります。
僕をカタワと呼んでもいいのさ、友情をダメにしないでおくれよ
僕をメクラにさせないでおくれよ、友情をダメにしないでおくれよ
君をツンボと呼びたくないのさ、友情をダメにしないでおくれよ
僕をチンバにさせないでおくれよ、友情をダメにしないでおくれよ
見て見ぬふり、自分だけはカタワじゃないと信じてる
ことなかれことなかれの心、それこそカタワの中のカタワ
漢字も、障害者だろうが、障碍者だろうが、障がい者だろうが、そういうウワベは本質じゃないんですよね。
タイマーズの歌詞もそれ。
放送禁止用語とされてる、カタワ、メクラ、ツンボ、チンバを言わないからOK、とか、「障害者」なんて漢字は失礼だ!障害者の人は世の中の障害ではない!だから「障碍者」「障がい者」を使うんだ!!キリッ!!
みたいなウワベの事で体裁を取ってるアンタらこそ「カタワの中のカタワ」という事。
「障がい者」って書く事とかに気をつけてるくせに、堂々と障害者スペースにクルマ停めてる奴こそ「カタワの中のカタワ」ってね。
僕たち人間、全員は「加齢を重ねると、色々と不具合が出てくる」つまり、若いときには無い、感じない障害が増えてくるわけで、加齢してくれば、この彼女が言うように、誰しも「障害者」になっていくわけです。
自分も年々、障害を抱えていく体になっていく。 「自分自身も今より障害者になっていくんだ」って事を理解し、優しがあれば、障害者に対しての態度とか、障害者スペースにクルマを停める愚かさ、なんかをもっと分かるんじゃないかなって思いました。
いわば、極論を言えば、僕たち皆んなは年々障害者になっていく、って事なのかもしれないです。