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ローマ法王がなくなって、新しい教皇を選ぶ選挙のことをYouTubeで見ましたが、コンクラーベという単語を初めて知りました(笑)

しかもやり方が「根比べ」そのものww

狸寝入りを英語では「FOX」を使うんだけど、テレコ(逆)だけど、同じ動物を使う、という部分で、言語は繋がっているんだな、と言う事を感じる。

というのも、コンクラーベって、やってることはまさに根比べ。

  • 枢機卿たちは1日2回(午前・午後)投票する。

  • 各投票で候補者が3分の2以上の得票を得ないと、その投票は無効。

  • そして…新しい投票をまたやる。何回でも!

  • これを誰かが3分の2に達するまで続ける。

だから、「全員が帰れない=3分の2が成立しない限り終われない」ってこと。

「コンクラーベ(Conclave)」とは、特にローマ・カトリック教会において新しい教皇(ローマ法王)を選出するための枢機卿たちの会議のことを指します。

「Conclave」はラテン語の cum clave(「鍵とともに」)が語源で、「鍵のかかった場所に閉じこもる」という意味です。これは、教皇選出中は外部の干渉を防ぐために、枢機卿たちが完全に隔離された状態で投票を行うという伝統に由来します。

  • 教皇が亡くなったり辞任した際に召集される。

  • 選出の場は通常、バチカンのシスティーナ礼拝堂

  • 全世界の枢機卿(80歳未満の者)が参加。

  • 2/3以上の票を得た者が教皇に選出される。

  • 投票は秘密裏に行われ、選出の結果は煙(黒煙→選出失敗、白煙→新教皇決定)でバチカン上空に示される。

  • 票が決まらなかったときにシスティーナ礼拝堂から出るのが「黒い煙(fumata nera)」
  • 教皇が決まったときは「白い煙(fumata bianca)」

コンクラーベって本当に誰かが教皇に決まるまで終われない閉じ込めルールです。

食事や寝泊まりは用意されてるけど、外部との連絡は禁止。しかも投票が何度も繰り返されるから、長引けばガチで精神力と根性の勝負になる…という意味でも「根比べ」感、めちゃくちゃある(笑)

【伝説級】最長のコンクラーベ(1268〜1271年)〜屋根をぶち壊された選挙

  • 舞台:イタリア・ヴァテルニア

  • 期間:実に2年9ヶ月

  • 背景:前教皇クレメンス4世が亡くなった後、枢機卿たちは意見が全くまとまらず、ずーっと決まらなかった。

  • 市民の反応:さすがに町の人たちもキレて、枢機卿たちが閉じこもっていた建物の屋根を壊した上に、食料の供給まで制限して圧力をかける。

  • 結果:やっと選ばれたのがグレゴリウス10世

この出来事をきっかけに、「次からはもっと早く決められるようにルール作ろう」となり、現在の厳しいコンクラーベの形式(鍵かけて外出禁止など)が制度化されたらしい。

現代では…

  • 投票回数が増えると、候補者を絞るよう枢機卿たちの間で協議が始まる

  • 一部のルールでは「一定回数の投票で決まらない場合、上位候補だけで決選投票」という特別措置もある(現在の教会法で定められている)。

こんな感じになっているそうです。

バチカンという部分で、「事実は小説より奇なり」的な話もあるようで。

奇跡1:白い鳩がフランシスコのもとへ

2013年のコンクラーベで、フランシスコ教皇が選ばれた直後…

  • バチカンのサン・ピエトロ大聖堂上空に白い鳩が舞い降りたと報道され、信者たちは「聖霊の象徴だ!」とざわつく。

  • 白煙+白い鳩=「神の導き」だと感じた人が世界中にいた。

奇跡2:稲妻がバチカンに落ちた日

  • 2013年2月11日:ベネディクト16世が教皇辞任を発表したその夜、

  • なんとバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に稲妻が直撃

  • 「神の怒りか、あるいは大きな変化の前触れか?」と世界が騒然。

  • しかもこの写真もプロカメラマンによってばっちり撮影されていて、世界中に報道された。

これ、まるで映画の演出みたいだけど、全部リアル。

奇跡3:教皇の名と一致する予言

  • 中世の修道士「聖マラキ(Saint Malachy)」が残したという教皇予言

  • 彼が列挙した教皇の称号の中に、「終わりの教皇」とされる人物の記述があり、 それが「ローマのペテロ(Petrus Romanus)」。

  • 一部ではフランシスコ教皇が「ローマから選ばれた最後の教皇」という説も(本当かどうかは謎)。

オカルトっぽいけど、歴史ファンや一部信者の間では有名。

奇跡4:教皇ヨハネ・パウロ2世の“回復”と“死”が聖なる日に重なる

  • ヨハネ・パウロ2世は1981年に暗殺未遂に遭うが、一命をとりとめた。

  • そして、亡くなったのが「神の慈しみの主日(復活祭後の日曜)」

  • カトリックにおいて非常に特別なこの日に死去したことは、信者の間で「神に召された証」と捉えられた。

いろいろと面白いですね。

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