Myths and legends should be handed down from generation to generation.
『神話や伝説は代々受け継げられていくべきだ』
by DUO3.0の例文より
いつもありがとうございます。
諸先輩方の影響で、20代の前半からどっぷりとディープな音源を聴いています。
隠れキリシタンの心境、背徳感、なんといってよいのか、当時、同じ趣味を持っている、同じ「好きなものを聴いている」、と言うだけで、仲良くなったり交流が出来たりしたものです。
20代の前半は、先輩たちに名前を売るため、思いっきり主張する。
ベラベラしゃべるとかではなく、着ている服や、立ち振る舞い、そういったもの含めて、最大限自分を表現する。
ロックTee、所属しているチームのサーフTee等は自分のアイデンティティーであり、大げさではないけど、パーティーやクラブにロックteeを着て行く行為は、「(それを)背負っている」行為とか覚悟w自分で思ってるだけですけどw。
「そもさん!」「せっぱ!!」の禅問答じゃありませんが、相手側は「お、お前○○好きなんだ??」と、威嚇半分、仲間を見つけた嬉しさ半分で話してきます。
お前、どんだけ知ってるんだよ、的なジャブを打ってきます。
そこで、相手が満足するような知識、コダワリを話すことができれば、めでたく仲間入り。
バタバタアタフタしていたら「あいつ、カッコだけやんけ」的なね(笑)
「え?〇〇って誰ですか??」てな事を言おうもんなら。。。ww
ロックteeはファションシーンで定番ですが、僕は「語れる」くらいの知識がないロックTeeは着ないようにしています。
ローリングストーンズを殆んど聴いたこと無いような人が、ベロtee着ちゃいかんです!ってのが、僕の考え(笑)
そのような厳しい世界にいたわけですが(笑)おかげさまで、30~40代の先輩方から、いろいろな音楽の情報を教えていただきました。
東京や大阪の展示会にはツアーteeなんかを着てアピールしてたりしてたので、そこで音楽の話で親睦を深めた方は沢山います。
「くっちん、ニール・ヤング好きなら、このCD聴いてみてん。ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウン、デイブメイソンとか、好きそうな歌のカバーだから。コッチじゃ有名なんだけどね」
って、当時めちゃめちゃ音楽が詳しかった大阪のメーカーの方に勧められたテキーラサーキット。
ニールヤングのバージョンももちろん好きですが、僕はこのテキーラサーキットのCD、結局3枚くらい購入しています。
オールマンブラザーズバンドの沢山の話
僕がお店の名前にしたくらい大好きなバンドなのですが、20代の前半から、普通の洋服屋がオールマンブラザーズバンドかなり聴き込んでい為、オールマン・ブラザーズ・バンド好きな先輩たちは嬉しかったのか、色々な事を教えていただきました。
もちろん、当時は情報が乏しかったので、レコード・コレクターズなどディープな雑誌は好きなミュージシャンはほとんど買って読んでましたね~。
お店の休憩、昼休みはRecord探し、雑誌探しが楽しかったです^^
都市伝説的なロックスターの噂。
オールマン・ブラザーズ・バンドの色々な話も沢山ききました。
真実がどうとか、実際のところどうなのか?とかはどうでもよく、僕の大好きなオールマンブラザーズバンドらしいドキドキするような沢山の「らしかった」という噂話。
Myths and legends should be handed down from generation to generation.
『神話や伝説は代々受け継げられていくべきだ』
by DUO3.0の例文より
オールマン・ブラザーズ・バンド愛がめちゃくちゃあるメーカーの方達とも出会いました。
当時、東京でアパレルのブランドを立ち上げたばかりの3人組の、おそらく30代後半くらいの方だったと思います。
オールマンブラザーズバンドが好きすぎて、オールマンブラザーズを伝えていくためにアパレルを作ったみたいな方だったはず。
キノコのグッズとか、なんか、オールマン・ブラザーズ・バンド好きなら分かるブートレッグに近いような商品です。
僕が20代の中頃なので、ほとんど記憶がないんですよね^^;
僕が、その人達と知り合ったキッカケというのも、その人たちが東京から商品を売り込みに来ているとき、たまたま僕が働いていた店に来たんです。
その時に僕がオールマンブラザーズバンドのCDを店内でかけていた為、そこから話が始まり、展示会に来てくださいみたいな流れになったんです。
僕も、オールマンブラザーズを聴き始めて4、5年が経っていたし、音楽はかなり興味を持って色々な知識を持っていたため、話がめちゃくちゃ合ったんですよね。
結局、東京の展示会には一度行ったものの、お店でその商品を扱うことはなかったと思います。
でも、その人達のアパートの一室の事務所兼商品置き場で色々な話をしました。
当時インターネットも全くなかったので、この人達しか知らないような情報を知るのは本当に嬉しくてドキドキしていました。
その中でも印象に残っている、今でも信じている話を書いてみたいと思います。オールマンブラザーズ好きな人であれば、なんか嬉しくなるような(笑)
なお、信憑性を確定しているわけではないです。うわー、めっちゃカッコいいやんってレベルで未だにドキドキしているってだけの話です(笑)
グレッグ・オールマンの首には「弦」のタトゥー
グレッグ・オールマンが日本に来たとき、アテンドする東京のライブハウスの方の勧めで、グレッグの首には「弦」という日本語のタトゥーが入っているとのこと。
中洲のライブハウスのゲンさんともこういった話をしたことがあります。
ちなみに、グレッグは、演奏が終わるたびに、ピアノの上に「ライム」を置いていて、それを一切れ噛むってのがルーティーンだったそうです。
福岡のブルーノートにも一度グレッグ・オールマンが来たんですよね!
そんときに「ピアノの上にライムあるぞ」って先輩に教えてもらって。そしたらありました!めっちゃ感動した。
多分人数も少なくて、サインももらったのですが、かなり愛想悪かったですねww
なんかね、サインも、めっちゃ適当な感じで「ピロッ」みたいに書かれたんですよね^^;。
せめてALLの文字は主張して欲しいじゃないですかwファンとして。でも、なんかオールマンのAも、小文字でしかも丸のところチッチャ!!みたいなオールマンだった。
やる気だせや~~って思いましたよ。
でもカッコよかったな~
デュアンオールマンのイート・ア・ピーチ遊び|反戦運動
オールマンブラザーズバンドの出身地、ジョージア州メイコンは「桃」の名産地。
- Peace(ピーチ)
- Peach(ピース)
で、韻を踏む言葉遊びみたいなもので、イート・ア・ピーチは「(平和の為に)ももを食べよう」って意味なんです。
当時はベトナム戦争で、若者たちは反戦運動と音楽を結びつけている時代です。
このあたりは、オールマンブラザーズバンド好きな人なら常識的な部分ですよね。
デュアンオールマンはヒッピーの思想を大事にしていて、インタビューでも桃を食べる理由を平和と結びつけて答えていたりしたそうです。
「僕は平和のために努力している。そしてジョージア州に行くたびに平和のために桃を食べる。だけど革命は防ぎようがない。なぜなら進化しか道はないから。この国が様々な変化を必要としているのは理解できるけど、みんながもう少しだけ視野を広げてくれたら、そしてもっとヒッピー的な考えを持ってくれたら、きっと世界は変わってくれる」
ちなみに、EAGLEのホテルカルフォルニアの歌詞も、ベトナム戦争への反戦運動のダブルミーニングとなります。
So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said, “We haven’t had that spirit here
Since nineteen sixty-nine”キャプテンに「ワインを持ってきてくれないか?」と頼んだら「当店にはspritは1969年以降ございません。」って言われた。
2番の「ホテルカルフォルニア」というホテルで、主人公がお酒を頼むシーン。
SPRITは蒸留酒の意味と、「精神・心」の意味。1969年は、ニクソン政権になり、ベトナム戦争でベトナムから大量に兵士を減らした年です。
つまり、「私達アメリカ人は、1969年から(アメリカ人としての)誇りを失ってしまっています。」という、ベトナム戦争に対する皮肉を込めた意味も含んでいます。
このような時代背景もあり、当時デュアンオールマンの周り?知り合いとか友達、或いは地域的なヒッピーの遊びとしてやっていたのが「イート・ア・ピーチ」という遊び(儀式?)だったそうです。
桃を食べる為に、桃を運搬しているトラックの横にハーレーで並走し、荷台から桃を取って、トラックを追い抜いて食べる。
デュアンオールマンは24歳のときにバイク事故で亡くなったのですが、「イート・ア・ピーチ」を日常的にしていたからこその事故なのかもしれませんね。
実際のところは、止まっているトラックにぶつかったことが事故の原因であるとされていますが、デュアンオールマンたちが、バイクでこの様な「反戦運動」に便乗した遊びをしていたのは間違いないようです。
ハーレーでトレーラーの横に並走し、荷台から桃だけを取って追い抜いていく。
若い時は、そのデュアンオールマンを想像して、ますます好きになった都市伝説でした。
オールマンブラザーズバンドのベーシストのベリーオークリーも、1年後バイク事故でなくなります。
グレッグオールマンは、周りから「薬物の過剰摂取(オーバードース)で絶対死ぬ」と思われていた位、一時期はバンドメンバー全てがドラックまみれのバンドでしたので、バイク事故、イート・ア・ピーチという遊び、ドラッグ、と、若者の惹き付ける魅力のあったバンドであることは間違いなく、バイク事故も起こるべくして起こったと言えるかもしれないです。
ちなみに、オールマンブラザーズバンドをメジャーにせしめた「filmora East」ですが、レコードジャケットは、笑顔のバージョンと、ブスッとしているバージョンがあります。
笑っているバージョンは、↑この写真撮影のとき、メンバーが全然笑わず、カメラマンが「笑顔の写真がないとコカインをあげないよ」と言う様な冗談を言っていた時、たまたまカメラの向こう側に、デュアンの頼んでいたコカインが到着、撮影を一時中断してデュアンがコカインをもらいにいくというハプニングがあったそうです。
そして「おまたせ~~」って帰ってきて、席に戻り、左手を右手で隠し、コカインを持ったまま撮った写真がコチラ。
希望通り笑顔の写真が撮れてます(笑)
なんか、別のバージョンもあって、この日、沢山のテイクを撮っているんでしょうね。下のは初めて観ました^^;加工なのかな。。?