タウン&カントリーといいますか、20代から洋服屋で客業で福袋を売ってた反動で、混雑を避ける行動を常に取る笑。
1993年くらいの話で、当時は天神地区でも「大名」と言う地域は、まだまだ発展途上。
ちょっとオシャレな人たちが集まるような地域。まだまだ親不孝通りにも沢山洋服屋があった時代。
やっぱり、メインストリームといえば、大名というよりも親不孝というのが僕たちの感じで。でも、時が変わり、段々と大名地区が盛んになってきた。
今では、満員で入れないような一風堂も、大名の第1号店の時は「目的のお店で予約が取れない時に、仕方なく時間つぶしに行くような場所」でした。
僕たちの洋服屋のお客さんの男の子がバイトで働いていたので、予約が取れないときに一風堂に4,5人で行って、ラーメンを食べずに、ビールと餃子で数時間時間を潰すような場所でした。
たまにラーメンを食べるくらい。
今となっては信じられないですが、当時の天神地区ってそんな感じでした。
僕たち洋服屋も、31日に大掃除をして、お酒を飲んで17時ぐらいに終わり。
初売りは3日からで、その時はレジの横に樽のお酒を置いて、ビールやお酒、つまみをレジの上に置き、僕たちは呑みながら接客。
お客さんで仲のいい人間たちが来たら、振る舞い酒をして一日中宴会みたいな感じでした。
時間も酔っぱらって来たら適当に閉める。17時ぐらいでお店を閉め、夜の街に消えていく。そんな感じで数年間は過ごせていましたが、段々と大名地区も強豪がひしめき合ってくる状況になり、アメカジブーム、サーフィンブームと重なってきて、どんどんお店の知名度が上がってきてお客さんもどんどん多くなる。
やがて、福袋を作るようになり、その福袋目当てで店にはオープン前から100メートル以上の行列。
とてもじゃないけどお酒なんてと呑める状況ではなく、きっちりと告知をして、年始の初売りは元旦から?か2日からになり、とにかくメチャクチャ忙しかったし、お客さんもとにかく多かった。
そんな感じで、お盆とお正月も、バブルも重なって過ごし方が変わってきて、それ以来、田舎のゆるりとした所で過ごすのが好きになった。
大晦日の日は、なくなった友達のお寿司屋さんで中学の同級生が集まるのが恒例。
そこには顔を出すけど、除夜の鐘を聴くタイミングで、僕は自宅に帰る。
そこのお寿司屋さんから歩いて数分のところに、飯塚の初詣はここでしょ!という八幡宮があり、とにかく人が多いので、僕はそこに行くのがすごく嫌で。
初詣で、チコチコと10センチずつしか移動できない様な所に行くのも無理。
長男と、次男の高校受験の年は、太宰府天満宮に行ったんだけど、ビックリする位人が多くて。ストレス半端なくて、1日のエネルギーを使い果たしてしまったという感じ(笑
友達とかと初詣行ったりするのもイヤ。やっぱ家が1番。家で仕事の通常営業。
毎月12回、1日、15日には仏様と神棚の事をして、24日は墓参り。毎月のルーティンとなってるので、一月だからと言って特別な気持ちも少なくて。
『今年の⚫︎⚫︎、今年のうちに』も無く。昨日も運動してRIZIN観ながら仕事して、0時ジャストに『一陽来復』のお札の貼り替え。
毎年恒例の爆笑問題のクジの写真を撮り、車で3分、近くのお寺へ除夜の鐘を突きに。少なくて、火にあたりながらオシルコ食べて家に戻る。
そして今日の朝も通常通りに早起きして仕事をしてる感じ。
良いか悪いか分からないけど、12回のうちの1回の「1日」というだけの話なので、特別な感情もないかな。
妻と後で実家の仏様のお参りをして、今日は妻の実家にみんなが集まるのでご飯を食べに行く。
妻の実家も、パジャマで行ける(笑)歩いて二分くらいのところ。
県外の人たちは、渋滞や人が多い中、インフルとかも心配しつつ、会いたい人に会いに行っていたり、実家に帰ったり。
こんな感じで、当たり前のことを当たり前にできない人が沢山いるという部分で、やっぱり今の自分の環境には本当に心の底から感謝しなければいけない。
今年も感謝の気持ちを忘れずに、健康第1で、整った1年にしていこうと思います。