【君子の交わりは淡きこと水の如し。小人の交わりは甘きこと甘酒の如し。・・・立派な人物の交際は淡白に見えるが、その友情はいつまでも変わらない。そうじゃない人間はあまったらしく利益や上辺だけの付き合いをする】
SNSで誕生日を祝わなくても、イイねもしなくても、電話やメールも滅多にせずに思い出す事もないけど、相手の事を大事に思う気持ちってのは常に持ってる。
逆にSNSで良く絡んでも、別に自分の人生に全く関係のない人もいる。
オアフ島の友人も、SNSでのイイねのやり取りなんかは殆どしないけど、安否をメールで確認した。
シンプルに「大丈夫かな?」って本心の気持ち。真っ先に思った「心配」という感情。
大事な人ってのは別にベタベタしてる、距離が近いとイコールじゃない。
まさに「君子の交わりは淡きこと水の如し。・・・立派な人物の交際は淡白に見えるが、その友情はいつまでも変わらない。」なんだよね。
相手がどう思ってるか、というより、自分がその相手をどう思ってるのか?という気持ち。
脳(潜在意識)は、ストレスを「現実」「仮想空間」を同列で考える、人間関係はSNSもリアルも一緒
例えば、街で「肩がぶつかる」「車でアオリ運転される」で感じる物理的、リアルな経験によるストレスと、SNSやネットで感じる「ネタミ」「名前やアイコンを観るだけで普通じゃないネガティブな感情になる」ストレスは、脳は「同じモノ」と判断する。
フォローを外すと波風起こりそう、でも、普通じゃない感情になる、みたいなアカウント、嫌いな人間の投稿は一切見ないし通知もオフにしてる。
犬や赤ちゃんの癒やしアカウントや、数人の「手放しで応援したい人間」「いつもイイねくれる人」以外は一切見えない様にしてる。
↓↓こんな動画↓↓ばかりがタイムラインにある環境(笑)「めちゃ可愛いわ~」「癒やされるわ~」ってプラスの気持ちになる様に設定してる。
僕も人間出来てる訳じゃないので、嫌いな人間も、名前を見ただけでストレスになる人間もいるし、投稿に妬みやらがゼロと言えば嘘になる。
だから、その感情を出さない努力。
選択権は自分にある。自分でそういう投稿を見ないようにすればいいだけの話。
「こいつ、イイね押さないな」で仮に、ガチの人間関係にヒビが入ったとしても、そんな人間とは付き合わない方が吉。
僕は僕の都合、僕のメリットを考えてSNSで情報発信をしているだけの話で、リアルで深くない人間たち、あるいはどちらかというと避けたい人間たちとSNS上で交流、仲良しこよしするつもりもゼロ。
以前、向こうから申請してきたのに「お前投稿が多いんだよ」やら「文章長いんだよ」やら言われた事がある。
知らんがな、あんたの機嫌みながら投稿せんわ、、とは言わなかったけど、「ロバと老夫婦」じゃないけど、万人に刺さる様な事なんて出来ないわけで。
結局、自己肯定、自己愛、道徳、倫理的のベクトルが自分って所を信じるしかない。
昔から社交的、協調性もあるほうだし、友達、知人は多いけど、なによりも「孤独」が好き。孤独の時間が大事。
「テストステロン(男性ホルモン)」には「孤高感、孤立を好む、1人の時間を大事にする」という特徴があるらしいけど、加齢になるとテストステロンが減少する為か、なんかウジウジつるみだす傾向がある気がする。
筋トレの合トレ、意味不明の経営者パーティーなどなど、よー集まるなーと。
やっぱ自己成長する為には、孤独の時間が1番大事かなと。
40歳を過ぎて更に顕著になってきた気がする。
ストレスを一瞬でも感じる様な人間関係、感情を引き起こす人間の存在は、リアルでもネットでも「自らの意思で遠ざける」のが大事かなと。アドラー心理学の「嫌われる勇気」じゃないけど、別に「狙って嫌われにいく」必要もないし、そんなのは別に「勇気」でも何でもないし。
自分の気持ちを大事にして、自分がストレスを感じる事を避けていった「結果」まわりに人が減っていく、でも別にいーじゃんって感じ。
俺の葬式、嫁さん以外泣いてくれる人いないかも、、(笑)嫁さんが泣いてくれなかったらマジで泣くw化けて出るばい。ウソやけど。
でも、「まあ、でもいいじゃん。それは俺が自分を貫いて、これをストレスない自分の生き方、アイデンティティって決めたんだから。息子や娘たちにも、口うるさく言った事も、愛があればこそ。
子供たちが死ぬ間際、親になってしばらく経った時、感謝してくれたらそれでいいじゃん。今俺が死んでも泣いてくれなくても、せいぜいしたって思われても、それは彼らの人生を考えて真剣に向き合ったからだからなんだから。
友達って思ってたアイツもこいつも、もしかして葬式に来てくれないかも、泣いてくれないかも、でもそれでもいいじゃん。
おれはアイツの為を思って真剣にぶつかった結果だし。それで俺を避けても、それは俺が選んだ道なんだし。」って位覚悟を決める。
そしたら楽になる。
葬式には来てくれないかもだけど、死んでるから関係ないし(笑)
葬式の事考えながら人生なんていきれない(笑)
「コッチから付き合いはお断りだぜ」って「信念」があれば別に良くない?って感じ。
サーフィンやら趣味やら、ずっと1人で行動してたし。1番最高の事をしてる時間に、なんで人に合わせる必要があるの?って感じ。
孤独に車中でトリップするのも、楽しさの大事な一部。
好きな言葉
【君子の交わりは淡きこと水の如し。小人の交わりは甘きこと甘酒の如し。・・・立派な人物の交際は淡白に見えるが、その友情はいつまでも変わらない。そうじゃない人間はあまったらしく利益や上辺だけの付き合いをする】
【生まれ生まれ、生まれ生まれて、生(せい)の始めに暗く、死に死に死に、死んで死の終りに冥し(くらし)・・空海の教え。人は孤独に産まれ、死ぬ時も孤独で死ぬ。】
【自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ。 by岡本太郎】
【友達に好かれよう等と思わず、友達から孤立しても良いと腹を決め自分を貫いていけば、本当の意味で皆に喜ばれる人間になれる。 by岡本太郎】
【ブルース・リーの陰陽思想・・(最後のインタビューより)(役作りについて大事なこと、意識していることは?)
哲学的に聞こえると思うが、「演技をしない演技」または「演技ではない演技」だ。
つまり、両方の組み合わせってわけだ。「自然な本能」もあり「制御」もある。
表裏一体になっているということだ。その2つを調和させて組み合わせるんだ。
でも、その2つが「両極端」の場合、非科学的になる。
極端な2つのモノを持っているのであれば、それはもやは「人間」ではなく、ただの「機械」だ。
つまり、両方の組み合わせが表裏一体になっているのが理想であり、自然さ、でも、不自然さ、でもない。
そう、理想は「不自然な自然さ」あるいは「自然な不自然さ」・・つまり「陰陽」なんだ。
一つの陰は、もう一つの陽であり、一つの陽は、もう一つの陰であるという事。それが理想。】