【オヤジの独り言】アメカジの店員が、ニューエラ、帽子のツバを真っ直ぐ、シール貼ったままに凄く抵抗がある話。。

*最後まで読まない人も居ると思うので。最後まで読んでもらえると言いたいことが分かると思うし、単に僕の個人的な意見なんですが、disってる訳ではありません。

アパレルに居た時は店がカルチャーに根付いてたので、着る意義とかなぜそうなったのか、とかを先輩からミッチリ教えて貰ってた。

ライフスタイルは、例えばサーフィンをしたりとか、音楽はコレを聴くとかそう言ったもの。

洋服屋は、二次元の洋服を三次元にしてあげるのが役目、みたいなこと。20代のガキんちょの時はよく分からなかったけど、今では本当にそうだなと、あの店で10年以上学べてよかったなと本当に心の底から思える。

例えば、自分達が売っている洋服を着るなら、休みの日はモーニング娘を聴いてパチンコ屋に行ってでは駄目。

モーニング娘を聴いているから駄目とかいうdisってる訳ではなく、あくまでも例え。

この洋服を売るなら、自分達はサーフィンをして、音楽はジャクソンブラウンやイーグルスを聴いて・・みたいな話。

この洋服屋さんで働けるという喜びとプライドがあったから、必死にそういった自分になれるように努力もしたし、勉強もした。

まぁつまり、そういったスパルタの中で洋服屋にどっぷりと浸かっていた20代~30代の半ば。

そこで気になるのが帽子を真っすぐ被る文化。

僕は、渋カジブームの真っただ中に洋服屋だったから、アポロキャップ世代で、昔のアメカジのベースボールキャップのかぶり方は、クソかぶり(つばを後ろ側に向けて被るかぶり方)や、ガッツリとツバを折るかぶり方で、まっすぐにして被るなんて文化は0。周りの人間も1人もいなかった。

ツバを真っすぐする、シールを貼ったままにするというのは、文化がバックグラウンドにある

多分ラッパーの人たちから流れてきたかぶり方だと思うけど、今ではアメカジの若い兄ちゃん、アパレルの洋服屋の兄ちゃんで最も、印で押したように帽子を真っすぐ被っている。

でも、あのかぶり方というのは、例えばラップのチカーノのファッションとかと同じで、全てが文化が根づいているワケで。

ラップは貧困や差別のアンチテーゼとして産まれた要素が強く、その中で自分達の力で「歌で稼いだんだ」と言うアイデンティティーを出すために、ブリンブリンだったり、アディダスの真っ白の汚れていないスニーカーだったり、ニューエラのキャップがある。

つまり、貧困に対するアンチテーゼとして「俺たちは新品を持っているんだ」というアピールの道具として、ニューエラのキャップを「新品のまま(つまりツバも曲げずにシールも貼ったまま)」かぶる。

ラップをしている人とか、本当にそういったファッションが好きな人であれば、そこに従うのはファッションだし全く問題はないと思っている。

でも、洋服とライフスタイル、そしてその洋服が根づいた文化がガチャガチャだと凄く気持ち悪く感じてしまう。

例えば、レイン・スプーナーの裏地で作る理由も、ハワイアンシャツをくたくたに着こなしているサーファーのかっこよさがヒントにされている。

だから、古着を売っている洋服屋の人たちが、回れ右でニューエラのキャップをツバを真っ直ぐ、シール貼ったままってのは、整合性が取れていない感じがしてしまう。

この例で言えば

  • レイン・スプーナーの古着・・元々ハワイアンSHを着込んでレーヨン素材が日に焼けてクタクタになったカッコよさをヒントにして作られたメーカーの、さらにその古着を履いている
  • ニューエラの限定品・・●●が被ってた限定品。元々、黒人ラッパー達が、貧困に対するアンチテーゼの象徴として「俺たちは新品を買える位成功したぜ」の一部としてこのかぶり方を始めた

この2つを自分のファッションに混ぜ合わせているというのは、その洋服、そのファッションが根づいた文化や音楽、バックグラウンド等を完全に無視しているチンドン屋だと言ってる様なモノ。

コレが素人の洋服を買う若い学生の人とかであれば100歩譲って理解できるけど、商品を販売しているアパレルの兄ちゃん達がやっているのは本当に恥ずかしすぎると思う。

仮にそのレイン・スプーナーの色合いとニューエラの帽子の色合いがマッチしていて、なおかつ、そのニューエラの帽子が、どっかのセレブの○○が被っていたとか、そういった限定であったとしても、それはむしろファッションではないと感じてしまう。

結構流行っている洋服屋とかカフェとかもこういったケースって多くて、なんかうわべだけのいいとこ取りだけ知識だけはあるけど、かっこいいと言われている物とかは知識があるので、変に小金を持っているオーナーとかガチャガチャなディスプレイになっていたりとか普通に起こる現象。

店で流れる映像や音楽とかも、「このコンセプトでバキバキのショートボードの映像はないやろ・・」とか「このコンセントでこの音楽はないやろ」みたいなの多い。

僕自身が本物とか言っているわけじゃないけど、そのスジが好きな玄人が常連としてきてくれる様な知識は持っておくのがおもてなしの大原則かなと。

カッコつけるところが間違えている人は多い。

自分自身に知識がなかったり、自分自身がその事に対して深掘りして知ろうとする意欲がなければ、そもそも「どこにかっこつけていいのかわからない」状態になり、結局人の目を気にして「流行っているから」「限定品だから」みたいなファッションとは全く関係のないところで勝負をしなくてはいけなくなる。

起業家や芸能人たちが、文化やバックグラウンド全く無く、お金だけ人よりも何十倍も持っているから、ブランド物に完全依存して、ガチャガチャのチンドン屋になるのもこういった理由だと思う。

モノの高さや、モノの限定なんてのはファッションとは全く関係のないところ。

卵が先か鶏が先かじゃないけど、ヴィンテージが高い理由は、例えば洋服であれば「今その風合いが出せる技術がないからお金を出して昔のものを買わなければいけない」というだけ。

「風合いが出せる技術」というのは、最先端になるというわけではない。

例えばジーパンの染料のインディゴも「昔はそれしかなかった」だけであり、縦落ちするのも「綾織という技術しかなく、糸を均等に同じ直径に出来る技術もなく、なおかつゴッツい綿だから縮み、それにより起こる結果論」というだけ。

染料も化学繊維ができて、糸も何百メートル単位で太さを同じに出来る様になった。その最先端の技術の結晶が「現行の501」というだけ。

ハイブランドを身につけているからかっこいいのではなく、かっこいい人がハイブランドを身につけるからかっこよく見える。

多分、何かは分からないけど何かが違うと思うファッションをしている人は、そういった文化やバックグラウンド、音楽や趣味に至るまで、ちゃんと筋が通って、整合性ができている人たちだと思う。

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