【結局まいた種の結果という話】「大迫半端ないって」の大迫の半端なさと、オリラジの「武勇伝誕生秘話」

「犬小屋Mサイズ」「犬小屋LLサイズ」とか、物理的結果のタネまきは分かりやすいけど、知的領域の「タネまき」は物理的結果物じゃないので、タネまきしているときは不安で仕方がない。

「(この事に)時間とお金を費やす価値はあるのだろうか、、、」と「やっててよかった!」の繰り返し。

そんな知的領域のタネまきをしている人達にシェアしたい「大迫半端ない」話と、オリラジの武勇伝誕生秘話の2つのストーリー。

ベンツを乗っているからお金持ち、家が立派だからお金持ち、羽振りが良いからお金持ち、そんな感じで僕たちは物理的な視覚的要素で人を判断したり妬んだりするもの。

そのベンツも分割でワンナップみたいな金額を半分で払っているとか、立派な家が建ったのも遺産相続で一山当てたのか、そういった中身は全く考えず、とかく物理的結果物で人を判断してしまう。

古典落語で、はてなの茶碗というのがあるが、まさしくこれはそういった人間の感情の風刺であり、価値のないものでも価値ができてしまうって話。

「種をまいたものしか芽は出ない」

結果だけ見てそれを妬んだり恨んだり、或いは賞賛したりするのが僕たち人間だけど、結局良い事でも悪いことでも共通で「種をまいたものしか芽は出ない」…すごくシンプルだけど、心の中では実は納得していないみたいな顕在的な意識はあると思う。

種をまき、そして、その結果が出るのは、普通の農作業を考えるとわかるけど、長い時間がかかる。

僕も田んぼの米を植えていたけど、あぜ道を作り、雑草を刈り、種を植え、そして約半年後の秋のハーベストになる。

これは「種を植えれば、秋に必ず米ができる」(もちろん天災などは除く)というゴールが分かっているから出来ることで、知的な部分での成功を期待する「種まき」・・つまり、自分が信じるモノに対する時間とお金の投資は「そもそも芽が出る種なのか?」すら分からない。

芽が出る時期も予定してた時期に必ず出るとは限らない。

「芽が出る」「予定してた、計画してた時期に結果が出る」と信じて種まきをするしかない

この記事では、種をまいて成功した、逆に言えば、成功したから「種をまいたこと」がわかった2例を紹介したいと思います。

どんなに辛くても、信じてやらなくてはいけない、って気持ちになる良い例だと思います。

大迫勇也半端ない・・半端ない理由

W杯で流行語にもなった「大迫半端ないって」って言葉。

これは、大迫と対戦した相手チームの選手の言葉で、相手チームも青春時代をかけてサッカーをやってきた自信とプライドがあったからこその言葉だと思う。

「同じ高校生なのに、同じサッカー選手なのに、同じ年齢なのに、なんでこんなに差があるんだよ!」て気持ちが、泣きながらの「大迫半端ないって!」て言葉になったんだと思う。

半端ない自分を作ったのは大迫の地道なタネまき

でも、「半端ない大迫」になったのは結果論で、普通の高校生では考えられないくらいのストイックな「小さいタネまき」の積み重ね。

種まきは、その時は実際に芽が生えてくるのか?分からないもの。

大迫も、自分の中で決めたルール、炭酸やカップラーメンは絶対に口にしないというものも、W杯でコロンビア戦で活躍した「結果」があったからこそ注目されただけであり、仮に代表になれなかったり、代表になってもレギュラーじゃなかったら、この様な話は永久に同級生の間のみの話。

でも、大迫個人は、そうやって自分を高めるために頑張ってきたという気持ちの部分では、誰にも分からないかもしれないけど絶対にプラスなはず。

スティーブジョブズの有名なスピーチで「点と点は、いずれ線となることを信じて点を作っていくしかない」というのがあるが、まさしくこんな感じだと思う。

大迫も、仮に代表で活躍出来なかったとしても、「くそ、カップラーメンや炭酸飲みまくってればよかった!」とか思わないはず。結果としては自分の望んでいないことになったとしても、自分で選択して行った行動だから、そこに後悔はないと思う。

人の評価なんてどうでもいい。自分が頑張ったかどうか?なんじゃないかと思う。

 

オリエンタルラジオの話

僕も大好きな武勇伝。いまだにYouTubeで何回も観たりします。

「武勇伝」完成秘話もすごく感動した。

やっぱりしっかりと種をまいていたからこそ、オリエンタルラジオの活躍があったのは間違いない。

通常、芸人は何十年もバイトをしながらくすぶり続けるのがほとんどだけど、オリエンタルラジオはデビューしてすぐに活躍し、様々なやっかみやひがみを受けたコンビだと思う。

畑違いのあっちゃんの面白さに惹かれた藤森が、お笑いなんて簡単に成功できるほど甘い世界じゃないと言って諦めたあっちゃんを情熱で芸人にカンバックさせたというのも、藤森が作ったデッカイ「点」のおかげであり、人生に偶然はなく全てが必然という言葉も腑に落ちる。

バイト先で面白いことを言って注目されるあっちゃんに惹かれた藤森。

未来を見据えて笑いを諦めたあっちゃんと、人を笑わすあっちゃんの魅力にひかれ、情熱で「あっちゃんと一緒に何かをやりたい!」と、未来ではなく今の情熱をあっちゃんに伝える藤森。

ドチラが欠けてても、オリエンタルラジオが成立しなかったと思うとすごいことだと思う。

お笑いオタクで、様々なお笑いを研究していたあっちゃんだからこそ、自分みたいな才能でお笑い界で成功することは無理だと諦めていた。

そこで現れた藤森。

藤森は、あっちゃんとならお笑いで天下を取れる!と確信し、あっちゃんをNSCに引っ張り出す。

 

NSCは学びの場ではなく戦いの場

「あっちゃんとなら売れる」の情熱だけであっちゃんを誘った藤森と、お笑いが好きで、お笑いの世界を知ってたからこそ、「好きだから、オモロイから売れる!」そんな甘いものではないと思っていたあっちゃん。

でも、藤森からのアプローチに折れて、それならNSCに入ろうとNSCに入る。

でも、そこから凄いのが、NSCは学ぶところではなく、ネタ見せの場所であるというあっちゃんの考え方。

NSCの入学の時、100本のネタを作る。

単純に、漫才などを知らない藤森は、お笑いの世界の厳しさを知る。

あっちゃんは、コンビを組むことにより、友達との関係は終わることを知っていた。藤森は、そんなことないだろうと思っていたけど、あっちゃんの言っていた「友達の関係が終わる」ということを実感する位厳しい世界。

そこであっちゃんは、自分たちのタイムリミットを作る。

NSCに入るときに100本ネタを作り、授業でウケなければ芸人として成功しないと判断し、ズルズルと残らずにキッパリと諦める。

学ぶところではないという気持ちも凄いけど、100本を準備するというのもメチャ凄いと思う。後から聞くと「だから売れたんだ」と腑に落ちるけど、実際当時は100本を作るからといって、そんな種まきしてもそもそも種が出てくるかどうか?すら分からず不安でたまらなかったはず。

実際に、漫才の世界、お笑いの世界を全く知らない藤森が思っていた「あっちゃんと一緒なら絶対に売れる」ような甘い世界ではなく、あっちゃんが自信を込めて作ったネタ100本は、自分たちの面白いと思っているネタから披露したにもかかわらず、全くウケません。

クリエイターや芸術肌の人たちって、自分たちの才能に過信して、売れないのを人のせいにしたりする傾向があると思う。

俺の実力をわかっていない、俺の力をわかっていないのは、世間に見る目がないからだ!みたいな。

あっちゃんや藤森の凄い所は、自分たちが自信を持って作った100本のネタに合わせるのではなく、「人にウケるかどうか?」ってところにフォーカスし続けたことだと思う。

「俺たちのこのネタが分からないなんて、吉本も大したことない!」みたいに思っていたら、武勇伝も産まれていなかった。

100本のネタで、自信のあるものから出していたにもかかわらず、全てが玉砕し、残る手のうちがなくなったとき、苦し紛れに出した「やけくそ的なネタ」これこそが、武勇伝のベースとなる「中田伝説」と言うネタ。

3ヶ月もの間、ネタとして公開する事がなかったわけだから、100本の中でもかなりランクの低いネタということになる。

実際にあっちゃんも「漫才じゃないから」ということで「中田伝説」には乗り気じゃなかったみたい。

でも、あっちゃんの才能に惚れ込んだからこそ、沢山あるネタリストの中から「中田」と言う文字の入ったネタを選んだってのも、もともとオリエンタルラジオが結成されたスタート地点に関係する様な気がしてならない

逆に言えば、コレが、最初「中田伝説」ではなくて「武勇伝」という名前であっちゃんが作っていれば、もしかしたら藤森は選んでいなかったかもしれない。

結果、今まで認めてくれなかったNSCの先生も太鼓判を押してくれた。もちろん、中田伝説が武勇伝になるまで、かなりのブラッシュアップはしたみたいだけど、生徒にも先生にも大好評だったネタ。人生何が起こるかわからない。

厳しい先生が認めてくれた、そして、その先生が「そのネタだったらM1準決まで残るで」といって実際にオリエンタルラジオは、NSCの生徒で準決勝に残るという快挙を成し遂げた。

コレを「幾ら吉本の学校の先生だと言っても、ネタを見る目はないよな!」とオリエンタルラジオがなっていたら今のオリエンタルラジオはなかったと思う

自分たちの実力を信じつつ、なおかつユーザー(消費者)や経験豊富な人の意見を忘れなかった事が結果に繋がっていると思う。

まとめ

見返りを期待して何かをやるって言うのは愚かな事で、見返りがあるだろうと信じて自分が正しいと思うことをやり続けるしかないんだなとこの2つの話を聴いてさらに思った。

現在の積み重ねが未来になるわけではなく、未来を自分で想像して現在の行動を決める。

選択と集中、やらないものを決めて、やるものだけに集中していく。

自分の人生で最も大事な時間とお金を使うのだから、やっぱりその道のプロになりたい。

野球人であれば、やっぱり上のような理屈を知るくらいまで極めたいと思うはず。

男として負けたくないとか、自分の知的好奇心の飽くなき探究心だったりとか、いろいろあると思うけど、このイチローと落合の会話を聴いて「俺、6年間野球してきたけどさっぱり分からねえww」って言うような男にはなりたくない。サッパリ理解出来ない自分が恥ずかしい!って思える位、一生懸命打ち込みたい

ココまで極めたことなんて、自分の人生で一つもないと思うけど、自分の時間とお金を投資して取り組むものに関しては、この領域まで行きたいと常に思っている。

「兄さん!醜さ(みにくさ)を知った人間は、その時点ですでに醜くはないんだ!!」

これは、寅さんが人妻を好きになって「俺はなんて醜い人間なんだ…」と凹んだ時にヒロシが寅さんにかけた言葉。

ソクラテスの有名な言葉「無知の知を知る」と同じ意味。

道を究めたい、一流になりたい、結果はそうならないかもしれないけど、そこを目指して時間とお金を使う人間と、ただイタズラに1つのことに時間を費やしている人間では全く人間としての重みが違うと思う。

「口だけ番長」と紙一重の部分もあるかもしれないけど、一流になりたいと思って努力する事は恥ずかしいことでも何でもないと思う。

芽が出るかどうかわからない種を、僕たちは今日もまき続けるしかないのかな…結果が出ればそれが一番だけど(笑)

Yes!We can!!
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